「米に失望」どころか、何だかもう「なにもかも失望」、なんだけどさ。

テレビをつけたら、菅官房長官が「個人的見解で、日本政府の見解ではない」、と怒ってんだか呆れてんだか、よくわかんない無表情で会見していた。
この文言、どっかで聞いたなあ…と思ったのだが、よく考えたら、しょっちゅう言ってるじゃないの。

橋下さんと籾井さんの慰安婦関連発言。
百田さんの南京大虐殺はなかった発言。
長谷川三千子さんの追悼文。

みんな「個人的な意見です」、と主張する。

でも、
立場的に、あるいは「肩書がついている」以上、不特定多数が読んだり聞いたりする発言に、「個人的な発言」なんてこと自体、あり得ないのではないか。
口から出たと同時に「NHKの会長発言」なのであり、「経営委員の発言」になってしまうのである。
聞いた方は、みんなそうとらえる。


この際、個人攻撃してしまうが、
その昔、本好きな客様たちと、プライベートでやっていた読書会で、課題図書として『永遠の0』が取り上げられたことがある。
当時、映画化はおろか、まだそれほど売れてなかった。

…私は、酷評した。「あまりにも予定調和な結論」だと思ったからだ。
重い題材なのに、至るところが「軽い」。
前後して、大岡昇平の『野火』を読んだのだが、戦争の重さは、『永遠の…』とは比較にならなかった。

それからだいぶん経って、『探偵ナイトスクープ』で百田氏を初めて見たのだが。

…作品通りの人だとお見受けした。
もちろん、小説は好き嫌いがあって当たり前。
ファンもいれば、アンチもいる。
私は「読まない作家チーム」に入れている、というだけのこと。
だから、
発言自体には驚きもしないけど。

それでも、公職についている方々の「個人的な発言ですから」という弁解は、もういい加減にしてほしい。