久々に、松江文学学校へ行ってきた。
往復9時間以上、列車に乗らなければならない。
そんなとこまで通ってるアタシが物好きなんだけどさ。

何と言っても、岡山からが遠い。
乗るのは特急やくも。
特に今日の往路は、ツラいものがあった。

車両の最前列、窓際の席だったんだけど、となりが「デッカイ男の人」だったのだ。
ほとんど座席からはみ出さんばかり。
前は壁、左は大柄さん。
その圧迫感たるや、並々ならぬものがあった。

おまけに、通路を挟んだ隣の女性2人。
それから、後ろの女性2人。
153分間、ずっ~と「しゃべりっぱなし」の「食べっぱなし」なのである。
決して大きな声ではないのだが、何だかとても響く。

隣の男の人も、隣や後ろの女性陣も、何も悪くない。
わがままなのは、アタシの方だ。
…と、わかっているものの、しんどかったわ(-_-;)

…と、自分勝手な愚痴はこのくらいにして、
せっかくだから、学んだことを書かないと、ね。

今日の講師は高橋一清さん。
文藝春秋の編集者として、司馬遼太郎や松本清張といった超有名な芥川賞・直木賞作家を世に送り出した人だ。

講座の内容は、昨年の受講生が書いたエッセイについて、具体的な批評をする、というものだった。
もちろん、素人さんが書いたものだから、批評もマイルドで、とてもわかりやすかった。

そこで私の学び。

文章を書く上で、例えば倒置法とか体言止め、擬態語や擬声語の使用、比喩等々、いろんな手法があるが、これらを「効果を期待して意識的に使う」と、「わざとらしさ」がみえみえで、下品な文章になる、ということ。
わざとらしくみえるかみえないか、そこにプロと素人の大きな隔たりがあると痛感した。

それからもう1つ。

例えば「私の心の故郷」とか「ゼロからの出発」といった、「よくある一節」を使わないこと。
冒頭に、「辞書によると…」と、与えられたテーマの意味を書くのは、窮余の一策であること。
伝えたいことを文章にして締めくくるのではなく、伝えたいことが「言外あるいは行間から伝わる」ように書くこと。

言われてみれば当たり前のことだが、なっかなかできることではない。

ま、簡単にできるなら、
世の中、作家ばかりだけどね。




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