高野昭夫さんを知っていますか?
…って私も、今朝、新聞で知ったんだけど。
この人、バッハ音楽祭の広報担当。
とにかくその経歴がオドロキなのである。
中3の時、たまたまもらったチケットでコンサートに行き、あまりの美しい旋律に大衝撃。バッハ研究者になりたいばかりに、大学卒業後も定職につかず、論文を書きながらアルバイトでしのいでいた。
そうしてライプチヒへ。
トーマス教会で「施設に泊めてくれ」と牧師に直談判、資料を読みあさったのだそうだ。
とはいえ、それで食べていけるわけがない。
30代半ばでやむなくあきらめて就職するも、うつ病になり退職。
ドイツの友人たちが航空券を送ってくれ、「やはり自分にはバッハしかない」と決意し、再度、ライプチヒへ。
そして日本人初の財団職員になり、現在は広報室長。バッハの宣伝マンとして活躍しているのだそうだ。
…ううむ、バッハにとりつかれ、そこまでするとは…
すごい(-_-;)…
確かに私も、最初にマタイ受難曲の終曲を聞いて、あまりの美しさに衝撃を受けた人だが、
そのために、生活の糧を投げ捨てることはできない。
生活の質は保ったまままでハマる程度では、たかが知れている。
趣味の範疇だ。
そしておそらく、ほとんどの人が、この部類。
さあ一度の人生、「チーム・高野」の生き方が幸せか、「チーム・その他大勢」の生き方が幸せか。
…ううむ、一概には言えないが、「チーム・高野」にちょっぴりジェラシ-感じるのも確かだな。
…って私も、今朝、新聞で知ったんだけど。
この人、バッハ音楽祭の広報担当。
とにかくその経歴がオドロキなのである。
中3の時、たまたまもらったチケットでコンサートに行き、あまりの美しい旋律に大衝撃。バッハ研究者になりたいばかりに、大学卒業後も定職につかず、論文を書きながらアルバイトでしのいでいた。
そうしてライプチヒへ。
トーマス教会で「施設に泊めてくれ」と牧師に直談判、資料を読みあさったのだそうだ。
とはいえ、それで食べていけるわけがない。
30代半ばでやむなくあきらめて就職するも、うつ病になり退職。
ドイツの友人たちが航空券を送ってくれ、「やはり自分にはバッハしかない」と決意し、再度、ライプチヒへ。
そして日本人初の財団職員になり、現在は広報室長。バッハの宣伝マンとして活躍しているのだそうだ。
…ううむ、バッハにとりつかれ、そこまでするとは…
すごい(-_-;)…
確かに私も、最初にマタイ受難曲の終曲を聞いて、あまりの美しさに衝撃を受けた人だが、
そのために、生活の糧を投げ捨てることはできない。
生活の質は保ったまままでハマる程度では、たかが知れている。
趣味の範疇だ。
そしておそらく、ほとんどの人が、この部類。
さあ一度の人生、「チーム・高野」の生き方が幸せか、「チーム・その他大勢」の生き方が幸せか。
…ううむ、一概には言えないが、「チーム・高野」にちょっぴりジェラシ-感じるのも確かだな。