ナミダのクッキングNo.857 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

先週末、第九の練習後、喫茶店でおしゃべりをしていた。
その時、話の流れから、

「鞠子さんは、どういうタイプの男性が好きなのか」

…と問われたのだが、思わず言葉につまってしまった。

…説明できないのだ。

若い頃は、「背の高い人がいい」だの「筋肉質がいい」だの、自分のことは棚にあげて、外見中心にいくつも列挙できたのだが、今や、どんな点をあげても不十分かつ白黒はっきりできないのだ。

特に、内面的な点は、不透明極まりない。

自信満々のオトコはヤだ。
かと言って、「俺はダメだ」「俺はできない」ばかり乱発するオトコもどうかと思う。

要領のいいオトコはヤだ。
かと言って、何事もモタモタしているオトコもどうかと思う。

…そんなことで、「どんな男が好きなのか」と問われても、的確に答えられない。
「好きになった人が好きなタイプ」としか言いようがない。


ところで閑話休題。

先回のエクステンションカレッジ帰り道。
一緒に授業を受けているS女史と地下鉄に乗った。

その時、通路をはさんだ目の前に、赤ちゃんを抱っこした若いお母さんがいたのだが、S女史は遠くからずっと赤ちゃんをあやしていた。
あやしながら、何度も「かわいい、かわいい」を連発している。

S女史は美しい60代のシングルだ。

そこで、聞いてみた。

「Sさん、子どもを生んでおけばよかった、と思う?」

S女史の返答は、深かった。

「若い頃、゙この人の子どもがほしい゙と思える人と出会わなかった。でも、結婚し、子どもを持った友人の多くは、結婚生活が長くなるにつれ、゙ダンナはうっとうしいけど子どもはすごくかわいい゙と言う。なぁんだ、結局そんな思いになるなら、誰の子でも産んでおけばよかったな、と思う」

なるほどな。

そう考えたら、年々、好きなタイプの境目が曖昧になる私など、仮に今、子どもがいたら、その子の父は「嫌いなタイプに変わっちゃってる」かもな。

いずれにしても、
S女史も私も、いくら望んでももう子どもを産むことはできないから、

「子どもを持たなければわからない喜びや苦しみがあるはずで、それを知らずに一生を終えるのは、ちょっぴり淋しい気がする」

…と言ったら、S女史はこんなアドバイスをしてくれた。

「確かに子どもを持たなければ、子どもを持つ喜びや苦しみはわからない。でも、○○をしないから、あるいはしたことないから、その喜びや苦しみがわからないってこと、他にもいっぱいあるじゃない。むしろ、その方が多いくらいだよ。
だから、そういう考え方をしたって意味がない、と私は思う」

…やっぱり一人で生きているオンナは強い。

あ、私もか…