今日は仕事でM社のM工場長を訪ねた。

M社は米菓を製造している。
地元に根づいた長い歴史を持つ会社なのだが、なにしろ規模が、手作りをウリにするには大きすぎ、大量生産するには小さすぎるという難しい位置にいる。

その会社のM氏、工場長になったころのエピソードを話してくれた。

M工場長のお子さんが保育園に入学した時、奥さんがママ友から「お宅のご主人の会社、雰囲気よくないんだってね」と言われたんだそうだ。

M工場長、その時はあまり、気にも止めなかった。

しばらくして、会社から少し離れたところに家を建てたのだが、奥さんがそのご近所からも、かつてのママ友と「全く同じ風評」を聞かされたのだそうだ。

M工場長は、さすがにこれはマズい、と思った。
そんなことを言われる会社は嫌だ、と思った。
工場は、中高年の女性が大多数。
いろいろ調べてみたら、深刻ないじめがはびこっていることがわかったのだ。

M工場長は社員に訴えた。「僕はそういう雰囲気の会社、嫌なんです」と。

結果、今ではとても雰囲気がいい会社になったのだそうだ。

私は単純に解釈した。
いじめた方、あるいはいじめられた方を、辞めさせたに違いない。
でなければ、閉じた空間の女性たちが、こじれた人間関係を水に流す、などということはあり得ないはずだ。

ところが、いじめた方もいじめられた方も、まだ会社で頑張ってる、と言う。

そんなこと、あるかしらん。
どうしても納得できず、何をしたのかどんな手を打ったのか、M工場長を問い詰めたのだが、「特別に何もしてない。したことなんて、思い出せない」と言うばかりなのだ。

信じられない思いのまま、引き続きM工場長と話していたのだが、彼の言葉の端々から、ひょっとして、そんな好転もアリかもしれないな…という気になってきた。

おそらくM氏は、「こうあるべきだ」とか「こうしなさい」と、正義感や道徳心を押しつけたのではなく、単に「嫌だ」と言ったのだ。
若いM氏は、自分の気持ちを正直に、ありのままに、ストレートに訴えた。
息子のような年齢のM氏の訴えは、「こうしろ」と押さえつけられるより、みんなの身に沁みたのではないか。

それ以降のM氏の日常は、「雰囲気のいい工場にしたい」という思いに基づいた言動の積み重ねだったのではないか。

だからM工場長は「特別なことは何もしてないし、したことなんて思い出せない」のだ。

そうだ。
日々、解決できそうにない問題に直面した時、楽な解決法、それも劇的な効果をもたらす解決法を探すものの見つからず、落胆することがよくあるが、M工場長のように、本音をさらけ出すことで相手の琴線に触れ、その後の日常の積み重ねで問題が解決されることは、ありうることなのだ。

そもそも、劇的な効果のある解決法は、副作用も多いに違いない。
一過性の解決に終わるか、別の問題が勃発するか。

今日は、私より一回り近くも若いM工場長に教えられた。

ちなみに、
この話をBFにしたら、彼の意見はこんなだった。

「経営者サイドが社内の問題に気づいた、それをオープンにしたということだけでも、社員は救われたと思う」