「誰かに起こりうることは、誰にでも起こりうるのだ」
二千年前のローマの哲学者・セネカの言葉、らしい。
読んでいた本に、そう引用されていた。
そうだ、あの人に起こりうることは、私にも起こりうる。
私に起こりうることは、あの人にも起こりうる。
今日、町内の総会に出席してそれを痛感した。
同じ町内とはいえ、朝、出勤してから夜まで帰らない私は、ほとんど誰とも顔を合わせない。
だから久しぶりに会うご近所は、びっくりするくらい、
…老けていた(-.-;)
老けてしまった人が多かった(-.-;)
背中が曲がっている。
髪が真っ白になっている。
話のテンポが微妙にズレる。
ちょっと会わないうちに、こんなに老けるものなのか。
愕然とした。
ならば私も、「久しぶりに見たら老けたわ、鞠子さん」と思われても不思議はない。
誰かに起こりうることは、誰にでも起こりうる、のだから。
ただでさえ、高齢化・過疎化が進んでいる町内だ。
特に私の班は、櫛の歯が欠けるように空き家が出て、件数、平均年齢共に町内ワーストワンになってしまった。
私の家族が越してきた頃は、新興住宅地だったのに。
そして私も小学生だったのに。
仕方ないことだけど、時の流れの残酷さをまざまざと突きつけられ、何だかとても、淋しい気分よ。