『走れメロス』、知ってますか?

知らない方は、今回、スルーして下さいm(__)m

メロスとセリヌンティウスの熱い友情。
絵に描いたような美しい友情。
一度読んだら忘れないようなわかりやすい勧善懲悪。
中学校の教科書にはもってこいの内容。
それも作者は太宰治。

…と、単純にとらえていた。

駄菓子菓子…

今日、指導教授に指摘されて、ハタと気づいた。

先生の問題提起は、要旨、こんな感じ。

「メロスは暴君ディオニスに゙人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ゙と言ったにもかかわらず、山賊たちに行く手を阻まれた時、゙さては王の命令だな゙と言う。結局、メロスも人を疑っているではないか」

…ほんとだ。勇者・メロスの言動は矛盾している。

そういう目でこの短編を読むと、いろいろ面白い発見がある。

例えば、

メロスは「邪悪に対しては、人一倍に敏感であった」とあるが、その一方で、メロスは「のんきだ」とある。それも、2回も出てくる。
邪悪に対して敏感な人がのんきだ、というのはそぐわないと思うんだけど。

次。
暴君ディオニスは人が信じられないから、皇后、妹、自分の子どもと次から次へと近親者を殺す。
なのに、「わしだって平和を望んでいるのだ」と言う。
多少なりともそんな気持ちがあるなら、自分の子どもは殺さない、と思う私は甘いか?
おまけに戻ってきたメロスとセリヌンティウスがひしと抱き合う感動のクライマックスシーンを見て、あっさり気持ちを入れかえる。
殺戮を繰り返した暴君が、だよ。軽すぎやしないか?

次。
真の友情で結ばれている(…と本人たちが言っている)なら、メロスはそんな大事なセリヌンティウスを人質に置いたりしない。

次。
セリヌンティウスも、たとえ竹馬の友・メロスの頼みとはいえ、金ならまだしも自分の命をあっさり人質として差し出すなんてありえん。それ以前に、ディオニスとバカな勝負をするでない、とまずはいさめるのではないか、普通なら。

次。
疲労困憊の姿で帰ってきた兄を見て妹は驚き、質問攻めにするが、何でもないと言い張るメロス。その上、何としても結婚式を明日に早めろ、とまで言い出したのに、妹は何ら不信感を抱かず、祝宴で飲めや歌えやの大騒ぎ、なんて、余りに鈍感すぎる。

次。
自分が行かなきゃセリヌンティウスは殺される。自分が行けば、自分が殺される。
そんな崖っぷちの状態で、王城が射程圏内に見えてきたら急に「ゆっくり歩こう、と持ち前の呑気さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した」、はないだろう。

…と、実は、登場人物すべて、決して白でも黒でもなく、グレーな、つまりフツーの人の片鱗を見せて描かれているのだ。

その上で、「なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っている」のであり、「わけのわからぬ大きな力に引きずられて走る」のである。

結局、太宰は人間のサガを計算し尽くして、『走れメロス』を書いている。

…それも、半分「ま、ありえんな」としらけつつ。
半分、かくありたいと思いつつ。

…なんて、太宰に失礼だとは思うけど。