今度の土曜日、隣市の大学で、ドナルド・キーン博士の公開講演会がある。

ドナルド・キーン博士…名前だけしか知らない。でも講演テーマが「世界の中の日本文学」となれば、興味シンシン。

…で、さっそく申し込んだ。

…で、さっそく選にもれ、思いっきりがっかりした…

ところで話は変わります。
今日は検査のために病院に行ったのだが、本を忘れたことに気づいた。
あ゙~早くついたから、絶好の読書タイムなのになあ…しまった…

ぼ-っと待ってると、ロクなこと考えないので、雑誌でも買おうと病院の売店に行ったら、申し訳程度に文庫本が並んでいるではないかっ!
何とその中に、1冊だけ、ドナルド・キーン博士の著書があったのだ。

『日本人の戦争-作家の日記を読む』

この本、
永井荷風や山田風太郎、高見順といった著名な作家が、太平洋戦争突入から敗戦まで、何を考え、何に怒り、何に失望したかについて、「人には見せない」ことを前提に書いている彼らの「日記」から、キーン博士が日本人の精神を深耕した評論文なの。

言論が統制され、思想が統制され、情報が操作され、「勝利」だけを信じさせられる戦時下に、「ものを書く」ということは、命がけの作業だったんだ。それが痛いほど伝わってくる。
待合室で読んでいるうちに、ポロポロ泣けてきてしまった。

少しだけ、引用するね。

東京大学教授の渡辺一夫は昭和20年、フランス語で日記をつけていた。それは、自分の戦争観を警察に読まれたくないからだった。天皇がラジオで敗北を宣言した3日後の8月18日、渡辺は日記に書く、「母国語で、思ったことを何か書く歓び。始めよう」。

…今、私は、何の疑いもなく、ブログに好き勝手なことを書いている。
それができなかった時代の渡辺一夫氏の気持ちは、察して余りある。

…本との出会いというのは、「赤い糸」。
新聞で公開講演会の記事を読んだこと、今日、本を持たずに病院に来たこと、病院に早くついたこと、このうちのひとつでも欠けたら、ドナルド・キーン博士の本を読むことはなかった。

そして、好きなことが書けることに感謝することもなかった。