スーパーで、派手な怒鳴り声を聞いた。
思わず振り返ったら、おばさんが旦那さんらしきおじさんに何か大声で怒ってる。でもおじさんはじっと黙っている。
おじさんは、脳梗塞の後遺症?か、片側が少し不十分みたいだった。
何となくいたたまれず、私は冷凍食品コーナーに移動した。
ところがそこでまた、くだんの夫婦に遭遇してしまった。で、今度ははっきり怒鳴り声の内容を聞いた。
「ただの一度でも、台所仕事、やってくれたことあるのっ!今日はもうやりたくないんやてっ!」
私は、こう想像した。
奥さんは、今日、かなり疲れている。だから、今晩の夕飯はスーパーでお寿司を買って済まそうとした。それをご主人に伝えたら、ご主人が、おそらく不自由なカタコトで「夜は煮魚が食べたい」…と言ったのだ。
トイレや入浴、服の脱ぎ着、洗面、食事…日常生活すべてに何らかの介助をしなければならず、この暑さも加わって疲れがピークに達しているのに、魚を煮てほしいとは何事か…奥さんは、公衆の面前なのに、とうとうキレてしまった。
この想像が大方当たっているとすれば…
奥さんの気持ちは痛いほどわかる。
でも、自分自身が思うように動かないご主人の気持ちも痛いほどわかる。
介護はお互い思いやりを持って優しく…なんてきれいごとは、全く通用しなかった、わが家の場合は。
毎日が心身ともに戦闘状態で、母が憎くてならなかった。母も、私によく怒りをぶつけていた。時には泣きながら私に怒鳴ってた。
でもこうして離れてみると、そんな憎しみは全く帳消しになってしまってるんだよね。それどころか、こうすればよかった、ああすればよかったって後悔ばかりで…
今日のご夫婦、どこかで折り合いをつけて、少しでも楽に暮らせるようになれば…って、心の中で余計なお節介してしまいました。
だぁれも好きで、要介護になるわけじゃない。好きで介護人になるわけでもない。
そもそも…
生まれたのも自分の意思じゃないし、死ぬ時も一筋縄ではいかない。
母の介護認定は、ケアマネさんの予想通り、1ランク上がって要介護4になってしまいました。
あ、今日は何だか暗くなっちゃいましたね…
思わず振り返ったら、おばさんが旦那さんらしきおじさんに何か大声で怒ってる。でもおじさんはじっと黙っている。
おじさんは、脳梗塞の後遺症?か、片側が少し不十分みたいだった。
何となくいたたまれず、私は冷凍食品コーナーに移動した。
ところがそこでまた、くだんの夫婦に遭遇してしまった。で、今度ははっきり怒鳴り声の内容を聞いた。
「ただの一度でも、台所仕事、やってくれたことあるのっ!今日はもうやりたくないんやてっ!」
私は、こう想像した。
奥さんは、今日、かなり疲れている。だから、今晩の夕飯はスーパーでお寿司を買って済まそうとした。それをご主人に伝えたら、ご主人が、おそらく不自由なカタコトで「夜は煮魚が食べたい」…と言ったのだ。
トイレや入浴、服の脱ぎ着、洗面、食事…日常生活すべてに何らかの介助をしなければならず、この暑さも加わって疲れがピークに達しているのに、魚を煮てほしいとは何事か…奥さんは、公衆の面前なのに、とうとうキレてしまった。
この想像が大方当たっているとすれば…
奥さんの気持ちは痛いほどわかる。
でも、自分自身が思うように動かないご主人の気持ちも痛いほどわかる。
介護はお互い思いやりを持って優しく…なんてきれいごとは、全く通用しなかった、わが家の場合は。
毎日が心身ともに戦闘状態で、母が憎くてならなかった。母も、私によく怒りをぶつけていた。時には泣きながら私に怒鳴ってた。
でもこうして離れてみると、そんな憎しみは全く帳消しになってしまってるんだよね。それどころか、こうすればよかった、ああすればよかったって後悔ばかりで…
今日のご夫婦、どこかで折り合いをつけて、少しでも楽に暮らせるようになれば…って、心の中で余計なお節介してしまいました。
だぁれも好きで、要介護になるわけじゃない。好きで介護人になるわけでもない。
そもそも…
生まれたのも自分の意思じゃないし、死ぬ時も一筋縄ではいかない。
母の介護認定は、ケアマネさんの予想通り、1ランク上がって要介護4になってしまいました。
あ、今日は何だか暗くなっちゃいましたね…