今日は仕事で、とある行事の啓蒙記事を書かねばならなかった。

この行事、とってつけたような開催意義が提示されている。
苦痛だ。自分自身、価値を見い出だせない行事の「ちょうちん記事」を書くのは。

かなり前のことだけど、ある人物のインタビュー記事を書く仕事がまわってきたことがある。書けば全国版で発行部数も多い機関紙に掲載される。
でも、どうしても書く気になれなかった。その人物、一人の人間として信頼できなかったからだ。
自分の気持ちをごまかして、体裁だけを整えた文章を書くことはできなくもなかった。
でも若かった私は、「書けない。心にもない文章を書くのは私のプライドが許さない」と、上司と真っ向対立した。

え?かっこいい?
とんでもない。大泣きのマスカラパンダ。とても見られぬ御面相になっておりました。

オトナになった私は、今日、価値を見い出さぬ行事の記事を、それなりにまとめました。

あまりにも悲しくやるせなく。