取りあえず、『自殺について』という題に惹かれた。
さらには、「文章はわかりやすい。ときどき直訳調の硬さがでるが、理解に苦しむほどではない。また巻末の短い解説は、初心者がショーペンハウアーの人生と思想を知るのにとても便利だった」と書かれたカスタマーレビューを鵜呑みにし、買ってしまった。
ダメだ。
もうのっけから?????のオンパレード。
文章は分かりやすいと書いたレビューアーと私とでは、レベルが違い過ぎたようだ。
最初の数ページを読み、放棄しそうになったが、心に鞭打って、最初からもう一度読んだ。
ダメだ、やっぱり????だ。「?」の数が一つ減った程度で、実際は全然理解できないと言っても決して大袈裟ではない。
…などと思いつつ、妙なことを考えた。
1つ目は、訳者は藤野寛さんという方なのだが、これを訳すに当たって想像を絶する苦労をされたのではないか、ということ。
藤野さんは哲学者なので、いやいやそうでもなかったのだろうか。
書いたショーペンハウアーもすごければ訳した藤野さんもすごい。
もうまったく異次元の世界に住んでいる人々のようだ。
そして2つ目。
私は理解はできないが、部分部分に区切って「自分の周辺のできごとに照らし合わせて考えてみる」ことをしたら面白いのではないかということ。
なぜそう思ったかというと、本書の中に
「人は、すべての事物の壊れやすさ、虚しさ、儚いあり方に明瞭に気づけば気づくほど、彼自身の内的な存在の永遠性にもまた明瞭に気づくことになるだろう」
と書かれているのだが、この時点では私はさっぱり理解できない。
さらにその次に、
「なぜなら、本来、物ごとの性状というのは、なんといっても、この内的存在との対比においてしか認識されないのだから」
と説明が施されるのだが、ますますもって理解不能になる。
とこが、さらに続けて、
「それはちょうど、自分が乗っている船が迅速に進んでいると知覚するのは、岸辺をしかと見ることによってでしかなく、船の内部をいくら睨んでいてもそうはできないのと同じである」
と書かれており、ここで初めて、なるほど、と思ったからなのだ。
この船のたとえはよくわかる。つまり、このたとえみたく「自分の周辺のできごとに照らし合わせて考えてみる」ことをすれば、本の購入代金の何倍も楽しめ、完全に元を取れる。
ただし、その作業には途方もない時間がかかる。
死ぬまでにできるとは、到底思えない。
万人が 通る「死」誰も 分からない
鞠子