2026.2.1

今年のさんぽの会の初回は新春神社巡りということで大阪北のお初天神から大阪南の今宮戎まで北から南へ9社を巡り歩きました。

昨日は雪模様で一日延期。天気は良くなりましたがビル風か、風が冷たく強く感じた

2月の朔日でした。

今日のコース

   お初天神(露天神社)堀川戎神社大阪天満宮神農さん(少彦名神社)

   坐摩(いかすり)神社難波神社難波八阪神社今宮戎神社

 

集合場所のお初天神。正式には露天(つゆのてん)神社と言います。 

 

ものすごい数の参拝者。しかも若い人ばかり。特に女性が目立ちます。

 

左近の桜

 

両側に犬の置物があります? 

 

右近の橘

 

 

参拝者の長い行列。

 

堂島新地の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」の心中事件を題材に近松

門左衛門が劇化したことで「お初天神」として大評判になりました。

 

お初徳兵衛ゆかりの地として碑が建てられています。

二人の男女が永遠の愛を誓ったこの地は、強い絆で結ばれたいと願う恋人たちがひっきりなしに訪れています。

 

縁結びのパワースポットのようです。

 

境内社の開運稲荷社

明治42年「北の大火」で近在各地に祀られていた四社の稲荷社が焼失。明治43年に

当社境内地に四社を合祀したそうです。

焼け残った御神木でつくられた神號額が、その旨の裏書とともに伝わっています。

 

 

境内社の水天宮・金刀比羅宮

水天宮はもともと寛政9年(1797)に大阪中之島の久留米藩蔵屋敷内に祀られて

いた社で、明治維新に、蔵屋敷は朝廷に返上、水天宮は丸亀藩蔵屋敷の金刀比羅宮に合祀されます。しかし、丸亀藩蔵屋敷も返上することになったため、高松藩蔵屋敷の金刀比羅宮に遷され、その後、堂島中二丁目に遷座され、さらに明治42年の「北の大火」で社殿が被災したため当地に遷されました。

 

難波神明社

西向きの社殿で「夕日の神明」とも称されたこの社は、平安初期弘仁12年(821)に今の西天満伊勢町あたりの孤島に祀られたのが始めといわれています。
しかし、天保5年(1834)の火災で焼失し次第に社勢も衰え、明治42年の「北の大火」でも被災、ここに合祀されました。現在でも、ここから東方約500mほどはなれた旧境内地の一隅に碑をが建てられているそうです。

 

東門に建つ碑。門から入ってすぐ左側にある授与所のシャッターに中島潔の絵画

「こいさんⅡ」が描かれています。

 

露天神社の次は東へ歩いて堀川戎神社へ来ました。

最後に行く大阪市内南部の今宮戎神社および兵庫県西宮市の西宮神社と共に商売繁盛の神様として「堀川のえべっさん」又は「北のえべっさん」と言われています。

 

 

境内社の榎木神社。本殿がだんじりの形で通称、地車(だんじり)稲荷と言われる。

 

次の大阪天満宮へ。日本一長いと言われる天神橋筋商店街を南へ歩いて行きます。

 

天満宮の北鳥居の手前に建つ天満天神繁盛亭。

 

表大門の大注連縄。酉は鶏でなく鳳凰が描かれた十二支を描いた方位盤があります。。

 

本殿は瓦葺替え工事中。手前の建物は手水舎。先年来た時の報告がここにあります。

受験シーズンの関係か今日も多くの参拝者を見かけました。

 

本殿と神楽殿をつなぐ渡り廊下

 

御神水社。大阪四か所の清水の一つ、天満天神の水として平成26年に現代の飲料水の規格基準を勘案して復活したそうです。

その1の報告はここまでです。

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