2024.6.1

旧淀川は淀川の毛馬閘門(こうもん)で南に分岐して上流から大川、堂島川、安治川と名を変えて大阪市内を大阪湾へと流れています。

今回は堂島川に架かる大江橋から淀川の方に向かって13ほどある橋を全部渡って

毛馬閘門まで歩きました。それぞれの橋の様子とその周辺を紹介します。

橋の写真ばかりですがたくさんあるので3回に分けて報告します。

この前日(5月30日)天満宮から大川沿いを歩いて造幣局を見学した報告がここに

あります。

今回渡った橋

大江橋~水晶橋~鉾流橋~難波橋~天神橋~天満橋~川崎橋~桜之宮橋~源八橋~

都島橋~飛翔橋~毛馬橋~毛馬閘門

 

桜之宮橋階段を造幣局横の公園に下りてくるとみゆき橋跡と彫られた構造物が。

造幣寮開設当時は、水運を多く利用していたそうで、貨幣の材料となる地金は船で

構内の地金溶解工場横の船着場に運び込むための掘割が設けられていたそうです

その掘割に架かっていた吊り橋だということです。
明治天皇が最初に渡ったことにより、みゆき橋と名づけられたようです。

造幣局内には同じく掘割に架かっていたという眼鏡橋跡があります。

 

桜之宮橋の下をくぐって次の橋へ。並列する桜之宮橋の新橋の姿です。

桜之宮橋は国道1号線に架かっていてこの下をJR東西線が走っています。

 

昨日、お弁当を食べた泉布観や旧桜宮公会堂の横を通り帝国ホテルなどの高僧ビル

の横を歩いて源八橋が見えてきました。

 

源八橋を渡ります。

ここに初めて橋が架けられたのは昭和11年6月のことで、それまでは渡しが唯一の交通手段でした。この渡しは、江戸時代、元禄末(1700年頃)には、すでに「源八渡し」として知られており、由来は、川の中程に「源発」という名の砂洲があったことにもとづくと言われ、また、「中野の渡し」とも呼ばれていたそうです。

 

右岸は大阪城代配下の与力などの役宅が並び、左岸はのどかな農村地帯でしたが

京街道にも近く、梅や桜の名所でもあったので渡しは大変賑わったそうです。

自動車交通の発展に伴い交通量が増大し、東側の右折レーン設置のため北側が半分

だけ拡幅されました。JR環状線の鉄橋が見えます。

 

川下には桜之宮橋とUターンしていく遊覧船。大阪城も見えます。

 

源八橋を渡り環状線の橋梁下を潜ります。

 

都島橋近くにくると大阪市水道発祥之地の碑があります。

明治28年に大阪市最初の上水が、ここから送水されました。それまで飲料水は、淀川の水か井戸水にたよっていましたが、そのためコレラなどが流行したため、当時の

市年間予算の3倍強の経費と3年余の歳月をかけ61万人の給水能力をもつ施設が整備

されました。この水はポンプで大阪城内配水池に揚水し、自然流下式で給水された

そうです。その後大阪市の発展につれて拡張工事が重ねられ、大正4年に現在の

柴島(くにじま)浄水場の完成で閉鎖されました。

 

都島橋まで来ました。都島通に架かりこの通りの下を地下鉄谷町線が走っています。

 

都島橋は、大阪市道大阪環状線が旧淀川を渡る橋として市電事業によって架けられ、

大阪市電の梅田車庫から都島車庫までの約1.6kmが大正11年に開通しました。

 

飛翔橋が見えてきました。

 

飛翔橋を渡ります。大阪市が大規模住宅地開発を進めている淀川リバーサイド地区

から、大川を隔てた都島区へ連絡する歩行者専用橋です。


わが国にも外国にも例のない二重のアーチ橋(ニールセン・ローゼ桁)で、この上部形式を採用するにあたって、諸架設条件が付けられた結果の橋だそうです。

 

橋を渡り毛馬桜之宮公園の方へ。春風橋があります。

 

城北川(城北運河)が大川に注ぎ込む位置に架かっています。

川の上を阪神高速12号守口線が大川沿いを北上してきてここで城北川の上へと

方向を変えます。

 

城北公園通りに架かる毛馬橋を渡ります。

 

古くから毛馬の渡しとして知られ、大阪の北部から枚方、京方面へ行く人々は

この渡しを利用したそうです。

 

大川が淀川本流と別れる地点に今日のゴール毛馬閘門があります。

旧毛馬閘門が文化遺産として残されています。

第一閘門西側にはかつて淀川工事に伴って出る土砂の運搬などの為、長柄運河が作られ、閘門下流側門の側にこの眼鏡橋が設置されました。現在は運河は埋め立てられましたが、眼鏡橋は修復のうえ保存されています。

 

旧第一閘門上流側の制水扉です。

 

旧第一閘門東の一角に明治43年(1910)に淀川改修工事完了を記念して建てられた

「淀川改修紀功碑」があります。

 

紀功碑の横に毛馬北向き地蔵の祠がありました。

 

ここがゴール。これが現在の毛馬閘門です。

帰路はここから淀川沿いに長柄橋の方へ折り返しました。

 

途中、旧第閘門の上流側の門のそばに新淀川開削や毛馬洗堰造築で活躍した沖野忠雄の像が立っています。さらに東に旧毛馬洗堰三門が保存されている。

 

像の東に旧毛馬洗堰三門が保存されています。レンガと花崗岩で構築され、かつては総延長53m、十門のゲートがあったそうです。

 

淀川の方を眺めると巨大な堰を見ることができます。淀川大堰です。

淀川大堰の役目は水の制御と循環です。水量を調整しつつ阪神地区1000万人以上へ

水を供給する上水道となっています。このページにその仕組みの説明がありました。

帰路は長柄橋付近から天神橋筋商店街を目指して南下、途中、反省会。

あとは流れ解散。JR環状線の天満駅まで商店街をぶらぶら。歩きに歩いた感じ。

これで今日の大川橋巡りの報告は終了です。

長時間のお付き合いありがとうございました。

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