外仕事関連のメールが来て、内容が不明瞭だったが多分関係ないだろうと思って、Yesで返信したら、予定外の仕事になってしまった。面倒くさいなあ。思っていたのと違うとNoに変更するのもありなのかもしれないが、変更しないことにしてみる。いつもと違うことをすることで、新たな気づきがあるかも知れない。
ここで、良くないことばかりに目を向けてしまうとストレスが大きくなってしまう。最近は、思いついたことに対して、「本当にそれが正しいのか?自分だけが正しいと思っているかも」「他の考え方があるんじゃないか」「最初に思いついた考えは極端じゃないのか」と自問自答するようにしている。
そう考えると、多少納得がいかないことでも、そんなもんなんだろうなと思う様になった。それが正しいのか誤っているのか分からないが、そうすることで気持ちは楽になる。ただ、それも度を超すと、何でもありで、あらゆる事がありのままで良いんじゃ無いかとなってしまいそうな気がする。何もしないのも、何かを成し遂げようと全力でもがくのも、両方同じなってしまうかも知れない。何が正しいのか分からなくなってしまう。
けど、真に正しいこと、完全に間違っていること、そんなものはあるんだろうか。出来事に良いとか悪いとかというのは受取り方次第で、単なる変化に過ぎないのかもしれない。多くの出来事が単なる変化なれば、それに対して一々動揺したり感動したり反応するのは、どれほどの意味があるのか分からなくなってきた。
暇すぎると、余計な事を考えてしまうだけなのかもしれない。そんな結論が出ないようなことを考え続けないように、忙しくなれば良いんだろうけど、忙し過ぎると自分の体力では直ぐに疲れ切って体調が悪くなるだけなんだろうなと思ってしまう。どうすりゃ、良いんだろうね。
朝晩は涼しくなってきたが、昼間はまだ暑い。機能性ディスペプシアが出てからストレス対処法を変えて何年か経ったからか、食生活を改善したか、食前食後に胃が動くようになって、睡眠の質が高まり、疲労回復が良くなってきたように感じる。仕事やその他の事でどうしてもしたいと思っても、身体の限界を超えてしまうと体調不良でサインが出てしまう。結局、身の丈に合った活動を続けるしか無いのかも知れない。それが、納得いかない範囲の活動になってしまっても、その範囲で出来る事をしないと活動が続けられないというのは事実として受け入れざるを得ないようだ。