今週は来週の外仕事の準備をしていた。歩数的には1日6000歩前後でそんなに多くないのに、筋肉痛や強ばり感が出てすぐに疲れてしまう。

 歩いていたら土筆が生えていたので、採って帰って湯がいていたら母が見に来たので後の調理を一緒にしてもらった。茹でてから水で洗い、カットして油を引いて炒めながら調味料で味つけして卵を落していた。ちゃんと、出来ていたので安心した。土筆はそろそろシーズン終盤で硬くなっていたが、ちゃんと料理できたのが大きな意味があると思う。昔ながらの土筆の炒め物を久しぶりに味わうことが出来た。





 それにしても、最近疲れが取れない。しっかり休んでいるのに疲れが取れない。電気圧力鍋やエアフライヤーを購入して料理をできる範囲でやってみようとした分、活動量が増えて疲労しているのだろうか。、それとも季節の変わり目で調子が落ちているのだろうか。ここ1週間握力が30kg前半から28kgに落ちていたから、調子が落ちていたのかもしれない。握力は戻ってきているので、酷くなるパターンじゃないのであまり気にしない方が良いのかもしれない。

 新年度にちゃんと外仕事が出来るのか緊張しているストレスもあるのかもしれない。

 年度の変わり目になると、毎年今年は外仕事ができるのだろうか。出来なくなったらどうしたら良いのだろうかと不安になる。自分では出来ていると思っていても、客観的に駄目だと判断されていたら外仕事も減っていきやがて無くなってしまう。そうならないように、自己研鑽を積み重ねたいが、最近すぐに疲れてしまう。今まで神経症状をカバーしてきた能力が落ちてきて、出来ない事が増えてきているようで不安がいっぱいである。仕事や日常生活で想定外の事態が起こった時に、対処できる余力が無くなってきている気がする。年齢が50代になったら、体力で無くてこういう所から衰えていくのか。

 外仕事が無くなったら、何をすれば良いのか。身体を使うようなバイトやパートは出来るように気がしない。身体健康ならば誰でも出来る仕事が出来ないのは辛く感じる。じゃあ、デスクワークと言っても、ずっと座っているとお尻や足がシビれてきた動かなくなってしまう。どうしたら良いのだろうか。

 自分は今まで色々やってきので色々と出来る事があるとか、色々知っているから大丈夫なんて思い込みは捨てて、出来ているはず、出来るはず、知っているはずだから聞かなくても大丈夫と、避けてきたことに謙虚に一から向かい合って、新たに自分を見いだして、それを周囲の人に認識してもらい受け入れてもらう様にしていく必要がある年齢になってしまったのかと思う。50代になったら自分の役割も周囲の環境も変わり始め、こんな風に思うことが増えてくるんだろうか。これは健康・不健康関係なく50代になったら皆が思うことなのだろうか。直ぐには出来ないが方向性を持って努力していくしか無いのか。

 ただ、何を新しいことに挑もうとすると直ぐに疲れたり、調子が悪くなったりするのが悔しい。どうしたら良いのだろうか。20才から難病になって重症化も死亡も治癒もせずに50代になった人間はどう生きていくことになるのだろうか。