役者・パフォーマーぎつをのブログ -11ページ目

ハイバイとかポツネンとか

昨日はハイバイを。
今日は小林賢太郎『ポツネン』を観てきた。

どちらも品川区!うれしい限りだぜ。

ちょっと無理しすぎたけど・・・


ハイバイ、すげーおもしろかった。
実は今さらながら初ハイバイ。
当日券で返されたり公演かぶったりでたびたび観られず・・・
あー、俺絶対好きだと思うわーと思いながらやっと観られた。
そしてこの前の公演でやりたかったけどできなかったことをあっさりやっていて嫉妬したり。
観にいけてよかった!
お勧めよ。

んでずっと気になっていた映画『100,000年後の安全』を観た。
今まで考えたこともないようなことをいろいろ考えさせられた。
深くていい映画だ。


んで、ポツネン。
一度は生で観なアカンわーって思って観た。
完全に俺の理由なんだけど、思ったより感銘を受けなかった。
3階席ってのが主な理由だと思うけど、そして受付で制作ともめたことも影響してるのだけど。
観客の空気が、もはや俺の好きな客席じゃなかった。
俺やっぱあるラインを越えて有名になったものってどこか冷めていくみたい。
というかなんでもかんでも全員が大笑いするファンとの溝の深さが俺との亀裂を深めた。
作品の方向性は完全に好みなのだけど。
それとどうしても吹越満と比べてしまうね。
どっちが優れているとかではなく、好みの問題で言うとフキコシ・ソロの方が好きだ。

とりあえず、簡単だけど。

フジログ

新聞に“ブラックなサザエさん”って紹介されてたので気になって調べたら割と好みなアニメだった。

1話4分でこのゆるさ。嫌いじゃないぜ。



全部見たい方はこっちで見れるぜ。




これからこういうの紹介するブログにしようかなー

オーラの正体

オーラを感じる人は確かにいる。

去年の夏、ちょっとした運で田中泯という人に会いに行ったことがある。最初、挨拶したとき、強烈なオーラを感じた。しかし、泯さんは普段は優しい人で、一週間ほど生活するうちに、最初感じた強烈なオーラが熱が冷めるように消えていくのがわかった。

「この人があの強烈な存在感を放った田中泯なのだ」と、初対面のときに畏怖の念をもったことがオーラに関係しているのだろうと思った。つまり、田中泯に関する俺自身の「情報」が、オーラとなって現れたんだと考えた。テレビや雑誌のグラビアなどでしか見たことない、尊敬や憧れの対象だった人に実際に会うとき、その人に関する「情報」が肉体を持った「実体」といっしょになって目の前に現れることになる。そういうとき我々は緊張し、少なからず混乱する。

その結果、情報と実体がうまく重ならなくて、生じた亀裂からオーラというわけのわからないものを感じてしまうのだと思う。

喧伝されるオーラの正体はたいていそのようなものだ。その人物に関する物語性を伴った情報のうち、特に上質で希少性の高いものが「伝説」と呼ばれる。つまりある人物のオーラは、その人物の伝説に支えられる。また、その伝説が受け手の脳の表層ではなく深部に作用している場合には、対象となる人物のオーラはより強く濃く現れる。「この人の理論は素晴らしく、リスペクトできる」というような人物より、「理由はまったく不明だし、少し嫌悪感もあるけど、どうしようもなく人の容姿や喋り方やパフォーマンスに惹かれる」という人物のほうに、より強いオーラを感じるものだ。

オーラがある人は、滝に打たれたわけでも座禅を組んだわけでもなく、伝説を作ったのだ。伝説は「逸話」とは似て非なるもので、さまざまな分野のプロの場合、必ずその人の仕事のパフォーマンスによって形作られる。

ちなみに泯さんの存在感については本論ではないので多くを語らなかったが、
踊っている時の泯さんは半端じゃない。文章にすると完膚無きまでに形容できないのでこのへんで終わる。