オーラの正体 | 役者・パフォーマーぎつをのブログ

オーラの正体

オーラを感じる人は確かにいる。

去年の夏、ちょっとした運で田中泯という人に会いに行ったことがある。最初、挨拶したとき、強烈なオーラを感じた。しかし、泯さんは普段は優しい人で、一週間ほど生活するうちに、最初感じた強烈なオーラが熱が冷めるように消えていくのがわかった。

「この人があの強烈な存在感を放った田中泯なのだ」と、初対面のときに畏怖の念をもったことがオーラに関係しているのだろうと思った。つまり、田中泯に関する俺自身の「情報」が、オーラとなって現れたんだと考えた。テレビや雑誌のグラビアなどでしか見たことない、尊敬や憧れの対象だった人に実際に会うとき、その人に関する「情報」が肉体を持った「実体」といっしょになって目の前に現れることになる。そういうとき我々は緊張し、少なからず混乱する。

その結果、情報と実体がうまく重ならなくて、生じた亀裂からオーラというわけのわからないものを感じてしまうのだと思う。

喧伝されるオーラの正体はたいていそのようなものだ。その人物に関する物語性を伴った情報のうち、特に上質で希少性の高いものが「伝説」と呼ばれる。つまりある人物のオーラは、その人物の伝説に支えられる。また、その伝説が受け手の脳の表層ではなく深部に作用している場合には、対象となる人物のオーラはより強く濃く現れる。「この人の理論は素晴らしく、リスペクトできる」というような人物より、「理由はまったく不明だし、少し嫌悪感もあるけど、どうしようもなく人の容姿や喋り方やパフォーマンスに惹かれる」という人物のほうに、より強いオーラを感じるものだ。

オーラがある人は、滝に打たれたわけでも座禅を組んだわけでもなく、伝説を作ったのだ。伝説は「逸話」とは似て非なるもので、さまざまな分野のプロの場合、必ずその人の仕事のパフォーマンスによって形作られる。

ちなみに泯さんの存在感については本論ではないので多くを語らなかったが、
踊っている時の泯さんは半端じゃない。文章にすると完膚無きまでに形容できないのでこのへんで終わる。