「生きるということを知っているみたい…」と、言った人がいた。
「生きるということなんて知らないよ。ただ、理由があって生かされている。とは思う。誰もがね。」と、返した。
最近、アタシの過去を掘り返したことがあった。深く深く掘り返した。
掘り返していったら、中学時代のアタシがすねていることに気づいた。
テストの点数がものすごく悪くて、当然怒られて、アタシが口答えした。母に殴られた。鼻血が出て止まらなかった。「鼻血ってこんなに出るモノなのか?」と思うほどボタボタと流れて、両手で血を受け止めようとしても受け止めきれないほどだった。
呆然とした。こんなに血が出ているのに母は何もしてくれなかったこと。痛みを感じずにただ流れる血を見ていることしか出来なかった中学生のアタシ。ようやく止まったのは、血のやり場が無くてお風呂に入ってしばらく経ってからだった。制服は血だらけ。顔も血だらけ。相当にショックだったんだと思う。何より母に黙って無視されたことが一番ショックだったかも知れない。
その当時のアタシがまだアタシの中にいて、すねていた。それから母を嫌った。
小さい頃から大好きだった父。「どうしてこんな女(母)と結婚したんだろう?」って思っていた。母と父が居なければアタシは産まれなかったのに。
それでも母を嫌っていた。頭では「母や家族を好きなのが当然」って思っていても、心の奥底で母を嫌っていた。愛情から来る叱責だと知らずに。
いつからか母をライバル視するようになってしまった。仕事でも家事でも母に負けたくないと思うようになった。母を見下していた。
母からの愛情を得れないと思い込んでしまったアタシは、男性からの愛情を求めた。相手がどんなに「愛しているよ」と言っても、信じれなかった。イロンナ角度から相手を責めた「これはどう?こんな事をしてもアタシを愛せる?」と、相手を責めた。そして、愛情の深さをセックスで計ってきた。
けど、充たされることはなかった。
そんなことも気づかずに今まできた。
今、アタシは家族に「愛されている」と実感できている。もちろん、煩わしいときもある。当然「そこまで言われると煩わしい。」みたいな事も言う。けど、愛情があるが故の言葉だと、心から思えるようになった。
セックスで愛情を計ることもしなくなった。セックスはただのセックス。相手の気持ちが欲しくてセックスをするワケじゃない。ただの快楽。や、もちろん好きじゃなきゃしないけど。ただ、愛情の深さを計るモノではない。っていう事に気づいた。
今まで目を背けてきていた中学時代。見て見ぬふりをしてきた過去。
向き合ったとき、初めて自分自身を受け入れることが出来たような気がした。
嫌っていた母を抱きしめることが出来た。「ごめんなさい。ありがとう。」と、言えた。
抱きしめられるというより、抱きしめた。けれど、抱きしめられた。
「生きるということを知っているみたい…」と、言った人は、環境を変えざるを得なくなって変えた。その変えた環境の中で虚無感や、やるせない気持ちでいっぱいになっていた。どうしたら充実できるのかを探していた。
環境を変えて、「今やるべき事」の道を歩き出したのだけど、自分自身でそれに納得できていないのだろう。道を歩き出しても、迷子のままなのかもしれない。
アタシに何が出来るわけじゃない。自分から目をそらさないで向き合い続けなければ繰り返すのだと思う。そのきっかけを作れることは出来ても、やっぱり大事なのは自分。自分で向き合わなきゃ。自分のことを解決できるのは自分だけ。きっかけは与えられても。アタシはそう思ってる。
早く解決できますように。祈る。
アタシは「生きるということ。」なんて知らない。ただ、「誰もが理由があって生かされている。」のだと思っている。