光秀謀反、秀吉は知っていた説について | テキトーに何か言ってるブログ

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甘っちょろい戯言です^^

 

 

明智光秀の謀反について「羽柴秀吉は知っていた説」自分もあると思ってる。

なぜなら本能寺の変の後、光秀の行動は秀吉に対してまったくの無警戒のような気がする。

警戒していたら、摂津の茨木城や高槻城や伊丹城を占拠していると思う。

 

1級史料では無いと思うが、ルイス・フロイス著・松田毅一、川崎桃太編訳「回想の織田信長(フロイス「日本史」より)」と言う、フロイスの日記の和訳本を読んでるが、まず安土城に向かったということは、秀吉や大坂にいる織田信孝、丹羽長秀に対して戦闘体勢をとってない。

 

織田信孝に関しては、大坂に籠ってる津田信澄を攻撃してるようだ。

そして、摂津の中川清秀、高山右近、池田恒興が秀吉の傘下に入ると、戦闘体勢を整える。

 

フロイスの日記では、、、

秀吉が大坂まで来てるが、摂津三人衆は先に攻撃を始めてる。

その後に秀吉軍と織田信孝軍が詰めている。

フロイスの日記だからあてにならないかもしれないけど・・・

 

多分、羽柴秀吉本隊は長距離高速移動で疲れてるので、それほど戦力にならなかったと思う。

しかし羽柴&信孝の大軍がいることで、明智光秀は8000の兵しか集められず、士気も低かったと思う。

(つまりは脱走兵も多かったと思う)

 

摂津三人衆を明智光秀が調略してれば変わったかもしれないが、毛利攻めに加わっていて、茨木城、高槻城、伊丹城を占拠するのは卑怯だと思ったかもしれない。