「戦略の世界史」を読んでいて、オデュッセウスは知略に優れた古代ギリシャの英雄。
だが、欺瞞と策略を用いた戦いを展開すると、その案を出した人は恐れられる傾向にあるようだ。
いつ罠にかけられるかもと・・・
謀略によって勝利を重ねると、切り取った土地の人民・武将は少々疑心暗鬼になるのではなかろうか?
大河ドラマ「どうする家康」でも「徳をもって治めるが王道、武をもって治めるが覇道」とあった。
いわば軍師は汚れ役なのかもしれない。
大将でなく軍師がその案を出し実行してるという。
大将は勝利後、徳をもって政治を行う。
たかだか83ページ読んだだけだが、徳と戦略、どう折り合いをつけているかがテーマになってきた。
一次史料では冷遇した事実は無いが、秀吉は簡単にひねり潰せる12万石しか与えなかったとも思える。
豊臣秀吉はイエスマンを周りに置いたからこそ、その死後、関ヶ原で徳川家康に政権簒奪されたとも思える。
もちろん石田三成は優秀な官僚だったが、毛利輝元をどうにかできる力は無かったと思う。
やはり黒田官兵衛が恐かったと思える。
徳川家康も源家康と名乗ってたけど、源氏の家系の証明のため徳川を名乗ったことを思い出した。
でも得川だった気がした。
徳をもって政治をするため、徳川にしたのかなって思った。
徳と戦略の関係が興味深い。