邪馬台国畿内説に乗り換える!(訂正あり) | テキトーに何か言ってるブログ

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甘っちょろい戯言です^^

魏の使者は伊都国までしか行っていない!

伊都国だけ到着の到でその後は、至しか書いてない。

つまり伊都国以降は伝聞。

伊都国の後、奴国は福岡市一帯のでかい地域かもしれない。

不弥国は北九州あたりの海沿いの村。

投馬国は野間馬のいる松山あたり。

そこから中央構造線を陸行一月、海を渡って紀の川から奈良に入った。

 

狗奴国の騎馬軍団が強かったと思う。

それに対抗するため魏を頼ったと思われる。

道は中央構造線以外は獣道が多かったと思う。

方角は南を東とした方がしっくりくる。

 

(本題はここまで)

 

 

狗奴国は信州を本拠にしてた。

天照大神は壱与。

邪馬台国と狗奴国の境目に伊勢神宮。

 

ヤマト王権との関連性は、邪馬台国を中心とした連合国家が西日本の広範囲に及んだと思われる。

連続性はあるが、壱与から神武天皇まで血筋が繋がったかは不明。

連合国家だから優秀な人を王に据えた可能性。

継体天皇から天皇家が始まった説を支持。

仲哀-応神間が怪しいから。

応神天皇からでも差し支え無さそう。

 

天皇家問題は別問題として、とりあえず畿内説がしっくりくると思った。