哲学の本を読んでます。
善とは何か?悪とは何か?100%善はあるのか?など、テーマを投げかけていました。
とくにネット社会では善か悪かはっきりしてる善悪二元論に引っ張られている。
イエスの言葉に「姦通した女に、罪のない者だけ石を投げなさい」があります。
ここからは自分の意見です。
生きてきて一度も罪のない人生を歩んだ者などいないと思うのです。
嘘をついたり、いじめに加担したり、悪口を言ったり、幼少期や学生時代にはたいてい罪を犯してる。
その罪を大人になるにつれて悪い事だったと消えないで背負い続け、人に接する態度が変わってくると思うのです。
それでも最近では、善が分かりにくく、善と善が衝突して、ひどい言葉で罵り合うという顛末も・・・
人を侮辱することは善なのか悪なのか?
人を救うために誰かを侮辱することは善なのか?
もちろん100%善はありえないから、60%善Aと60%善Bが争っているのかもしれません。
80%事実を知って発言してる人と30%事実を知って発言してる人では、80%事実を知ってる人の意見を参考にすべきですが、80%事実を知ってる人が悪態をついていれば、人々は30%事実を知ってる人の意見を尊重するかもしれません。
また80%事実を知っていて、それが多くの人に都合の悪い事実ならば、それは事実でないと石を投げられるかもしれません。
善と悪はグラデーションがあると思っていたが、それも違うと思いました。
善と悪はアメーバのように形を変えると思いました。
その時の時勢で善と悪がひっくり返ったり、悪はずっと悪と決めつけられたり、人によって善の度合いが変わったりするなあと思いました。
著作権違反して二次創作して発表しても、その人の闇が光に変わることもあり得ます。
悪だけど人を一人救ってる。
いくら真実を語っていても暴言で語るなら、真実を分かっていない多数派に捻じ曲げられる。
嘘をついていても、別のことで権威があれば、嘘も信じ込ませられる。
誰も未来は分からないから、100%正しい答えはまだ分からない。
一つの選択しかできないから、100%正しい答えだったか永遠に分からない。
反証しても過去に戻せないから、100%正しい判断とも間違った判断とも言えない。
ああすれば良かったと後悔するから、セオリーを作り上げて、確率を上げる。
だが、あらゆる事象(天候・時間・全生物の体調・全生物の仕事などなど)をセオリーに入れることは不可能。
目に見えるものはニュートン力学、目に見えないものは量子力学でも、実際は変数が多すぎるので100%説明はできない。
善と悪で話を膨らませすぎて着地できなくなったので、、、これで終わります。