「光る君へ」44話「望月の夜」を見ました。
三条天皇と左大臣・藤原道長の駆け引きは続く。
皇太后彰子は父・道長は女を道具にしていると説教。
三条天皇に嫁いだ道長の娘・妍子は皇子も産めなかったので、酒と宴に溺れている。
それは父・道長のせいだと。
三条天皇は譲位する代わりに息子・敦明親王を次の東宮にすることを条件にした。
道長はこれを呑む。
1016年、彰子の息子・敦成親王が即位。後一条天皇となる。
彰子は国母となり、道長は摂政となる。
藤原公任は道長に摂政をやるなら、左大臣を辞めて欲しいと。
欲張りすぎであると。
道長は何度も三条天皇に譲位を促したが、今度は自分が辞めろと言われる番かと嘆く。
道長はまひろを訪れる。
摂政と左大臣を辞めると言い出す。
頼通に摂政を譲ると。
まひろは頼通にまだ民を思いやる気持ちが伝わっていませぬと。
それを伝えていくべきだと。
いずれ頼通は気づくときが来て、次の代、次の代へと受け継がれると。
話が終わると、源倫子が来る。
道長が去った後、倫子はまひろに道長の栄華の物語を書いて欲しいと頼む。
まひろは答えを出さない。
1017年、藤原頼通は摂政となる。
頼通は妹・威子(たけこ)を後一条天皇に入内させる。
威子はひどく嫌がっていた。
三条院が崩御。
敦明親王は東宮を降りる。
後一条天皇の弟・敦良親王が東宮となる。
彰子は太皇太后、姸子は皇太后、威子は中宮で3つの后の地位を道長の娘で占めた。
土御門殿で中宮威子の祝いの宴が行われた。
ここで道長がついにあの歌を詠む。
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
【感想】
ついに摂政に上り詰めた藤原道長。
そこで詠んだ望月の歌。
自分なりに解釈すると、、、
この世がもし自分の世となったならば、同じ満月を見上げてる者が去らなかったからだろう。
かなり意訳して、まひろへの恋文。
本当は驕り高ぶって、
この世は我が世になった、満月が欠けていないように
かもしれない。
でも本当は、
もしこの世が我が思い通りの世となったならば、満月が欠けないと思うくらい、つまらないことだ
ずっと満月の夜は趣がない。
つまり刺激のない世の中になってしまったと嘆いている。
誰も自分に意見しなくなった。
みんな自分にへこへこしている。
そんな自分を欠けない満月に例えて、風流ではないと感じたのかもしれない。
何が正解か分からないけど、実資の小右記にだけ書かれてるのは興味深い。
実資だけが何かを読みとったのかも。
(追記)
どうもこの歌が詠まれたのは十六夜(いざよい)らしい。
すでに欠けてるときに詠んでいる。
となると、
前半部分は仮定を表してると思うので、「もしもこの世が我が世であると思うならば」と訳せる。
後半部分は、欠けてる月を見て「満月も欠けないで欲しかったなあ」と訳せる。
つまり、いくら栄華を誇っていても、いずれ衰えていくと言う儚い歌に聞こえてくる。
人間が老いていくことは、道長自身よく知っている。
世間も終末思想が広がっているため、自分の代で世の中をよくしたかったと言う理想と諦めの歌とも読み取れる。
さらに意訳すれば、前半部分も「この世界を我が人生と思うならば」と訳せて、
この世界が我が人生だとしたら、これ以上老いたく無いなあ~
と言う、世界が悪くなること、自分の老いを畏れてることを歌ってるのかも。
「光る君へ」をずっと見ていれば、日照りもあったし、伝染病もあったし、火事も多かった。
道長の生きてる世界はそんなに安定した世界ではない。
だから自分はこれから老いて朽ちるが、世界はこれ以上悪くならないで欲しいと願ったのかもしれない。
宇治の別荘を藤原頼通が平等院に改装したので、仏の力に頼るほど窮してたのかなって。