これを読んでいろいろ調べました。
蛙合わせと言う俳句の遊びで詠まれた一句らしい。
「奥の細道」でも何でも無かった。
何が凄いって?
この蛙合わせの句が後世まで響き渡ってること。
俳句は文芸である。
いかに想像させるか?も善し悪しの判断材料にもなる。
みなが同じ想像してたら、ここまで広まらない。
芭蕉の句のように、一石投じて波紋を呼ぶから、後世まで響き渡る。
まず古池であったのか?古池を想像させたのか?
「~や」は感嘆の意味もあれば、反語の意味もある。
どっちともとれる。
芭蕉が実際見たのか見てないのかは芭蕉しか分からない。
そして、、、
蛙飛び込む水の音
これが想像力膨らませる。
ウシガエルは外来種だから、まだ1686年頃にはいないと見て良い。
となると一般的なツチガエル(アマガエルの茶色いようなやつ)かなって思う。
そいつは小さい。
芭蕉は蛙を見たのか?見てないのか?
見てないなら、水の音を聞いたのか?聞いてないのか?
聞いてないなら波紋を見たのか?
人によって想像したものが違うと思う。
挿絵などで蛙が飛び込む姿が書かれるので前者のような想像をするが、水の音を聞いた派も多くいるであろう。
ひねくれていれば、いや水の波紋を見て何かが飛び込んだと思う人もいるだろう。
蛙合わせでは他の詠み人も山吹を使ってないので、この時代には特に山吹は関係無いと見る。
ただ蛙は鳥獣戯画にも書かれて、雨乞いの神的意味合いもあるので、蛙は良い生き物と捉えられていたようです。
また江戸の喧噪を離れて、静けさを求める心情もあって、自然の美しさを詠ってるのかもしれない。
自分は、生類憐れみの令がこの頃にあるから、命の動きを尊ぶ句なのかなとも思ったけど、政治的感情は入って無さそう。
でも、奥の細道では命の躍動、喪失の感情が入ってるように思える。
もしかしたら徳川家綱・綱吉が名君かもしれないと言う、勝手な自分の解釈だが。
老荘思想、禅宗、朱子学がこの時代にどれくらい影響を及ぼしてるかも興味がある。
この一句でいろいろ溢れてきたから松尾芭蕉凄いなあと改めて。