石田梅岩は江戸時代の商人で、宋代の儒学・朱子学よりも、孔子や孟子から学ぶべき事は多いと考えていた。
そこで独自の心学、石門心学を組み立てていった。
孝の部分の問答がある。
親に仕えるべきと言っている。
もし言い争ったら不義か?
親が犯罪行為をしたりして善行から外れたら、子が諫めなければならない。
だが、聖人の心を持ってないから、親を卑しく思う。
孔子は親を養っていれば孝行というのは間違いで、敬う心を持っていなければ孝行とは言わないと。
(感想)
書物を読んで学ぶのではなく、敬意を持って人から学ぶのが仁だろうか?
親より勉強してるから、親よりも立場が上と言うことも無く、親は子が一人前になるために尽くして来てるから、その敬意はずっと持っていなければいけないと言うことだろうか?
ま、人間関係は互いに敬意を持っていなければいずれ破綻するので、親子だけでなく、誰に対しても敬意を払える人が聖人になるだろうと。
今は江戸時代ではなく令和。
厳では仁は得られないと言う格言があるように、厳しくすれば良いってもんでもない。
なめられるのが嫌なら指導的立場に就くべきでは無いかも。
愛が関わって来るかも。(恋愛じゃ無いよ)
なめられても、丁寧に教えれば、敬われることもある。
なめられるくらいが、コミュニケーション取りやすいかも。
自分の伝えたいことに耳を傾けてくれるかどうか?
部下の能力が高ければ、それに越したことは無い。乗せれば良い。
(自分は部下いないけど・・・)
先輩・後輩もあまりこだわらなくて良いと思う。
互いに敬意を持って接すれば、人間関係は良好になる。
自分が上の立場に立ってないから甘いかもしれないけど、人間関係で毎日すり減らしていたら、仕事なんか長く続かないと思う。
最低限の秩序とフラットに近い人間関係で、ある程度環境は良くなると思う。
あとは、どう能力を伸ばしていくか?どうプロジェクトを成功させるか?は指導的立場の人の力量もあると思うけど。
負担のかかる仕事は交代制にしたり、複数人の仲間内で育成したり、情報交換を頻繁に行ったり、向き不向きも互いに理解したり、誰もできないことをやってくれた人に感謝の意を伝えたり。
要は複数人まとめて同じ方向を向かせることで仕事に集中する環境を作る。
ルールが多すぎると、監視し合うので必要最低限の秩序。
必要最低限の秩序の中に悪口を言わないってことも。
言うことによって憎悪に変わるから。
不満があったらどう解消するか悩み所だけど・・・
(不満を聞く専門の役職の人いるけど)
自分がみんなの心理的安全性に気を配っていると、実は課題の分離や勇気づけのアドラーが役立ってた。
結局、石田梅岩関係無くなって来たけど・・・
自分の思ってること吐き出せたけど、会社って利益出さなきゃいけないから、この考えじゃいけないかも・・・
親子の話が会社の話に、こりゃ・・・