歴史探偵「空海」を見ました。
空海は31歳で唐に渡り、最先端の仏教を身につけ、最先端の技術も持ち帰ったと記憶していた。
しかし、仏教の他に土木技術なども民衆に伝えたからスーパースターになったと思っていた。
でも、真言密教にもしっかり意味があった!
即身成仏・・・生まれてきたその身のままで仏になることが出来る。
なぜこの教えが当時の人々に響いたか?
それは、当時の奈良仏教が天皇を護ること、天皇の政治がうまくいくことを優先し、民衆を直に救うことを考えていなかった。
さらに、この頃都では、疫病(天然痘)や干ばつに苦しめられていて、人々が生きる希望を失っていた。
だから空海は民衆に真言密教の教えに従い、徳を積めば生きたまま仏になれると、人々に生きるモチベーションを与えたと思われる。
そして、堤防や灌漑設備などの土木技術も伝えることにより、民衆の意欲をかき立てたと思われる。
さらに曼荼羅(マンダラ)で仏が大日如来を中心に役割分担して人々の救済に当たっていることと、我欲を捨てることや利他の精神を持つことで仏になれることを可視化して伝えている。
「光る君へ」では貴族は民衆のことなど考えていなかったが、平安後期に高野山が落雷で焼失すると、資金集めに高野山で空海の教えを身につけてる人・高野聖(こうやひじり)と言われる人たちが、全国に渡り歩いて、空海の教えを説いた。その代わりに五輪塔を高野山に祀ると言うことで寄付を募った。
空海伝説が日本全国に残っている。
戦国時代の時の権力者は、民衆が仏教を支えにすることを容認しなければ、横暴な権力者と捉えられていたかもしれない。
我欲を捨てること、利他の精神は、西洋のストア哲学やアドラー心理学にも通ずる。
基本、良き人生というものは普遍的なものかもしれない。
資本主義社会においても、買った人が喜び、社会的にも貢献してる近江商人の三方よしの精神が必要かもしれない。
生産者も含めた売る人は、やはり喜ばれるもの、社会的に後ろめたいものではないものを売らなければならないなと思った。
なかなか難しいけれど、追究していきたいところ。