エピクテトスの「コントロールの二分法」 | テキトーに何か言ってるブログ

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甘っちょろい戯言です^^

最近、欲望に関して興味があります。

白揚社:ウィリアム・B・アーヴァイン著:「良き人生について」を読んでます。

ストア哲学について書かれています。

 

その中でローマ帝国で奴隷出身の哲学者・エピクテトスの「コントロールの二分法」が気になりました。

世の中には自分の力が及ぶものと及ばないものがある。

自分でコントロールできるかどうか?

力が及ぶものを望み、力が及ばないものを望まなければ、心の平静を得られる。

 

自分の力で勝ち取れるものであれば、その欲望を手に入れることに注力した方が良いが、他力本願なら執着しない。

 

今日の中日-阪神戦の結果は自分でコントロールできない。

だからこの試合の中日の勝ちに執着すれば大きな落胆だったかもしれない。

ただ、気の持ちようで、嬉しく感じたこともあった。

梅津投手のピッチングは自分ではコントロールできない。

しかし、素晴らしいピッチングに自分は奮い立たされた。

特に梅津投手のスライダーは一級品であることに興奮を覚えた。

期待しないことで生まれた副産物だった。

 

前の章でネガティブ・ビジュアリゼーションについて書かれていた。

今日が最後の日であるかのような心の持ちよう。

それでその日を無駄にしないように生きる。

 

試合の結果はコントロールできないが、心の持ちようはコントロールできる。

今日の梅津投手の素晴らしい投球に感動できたのは、欲望のレベルを下げたからに他ならない。

勝てなくても凄いものが見れたと言う満足感。

これが自分を幸せにしてる。

 

もう少し読み進んでみたくなった。

ストア哲学で欲望を飼い慣らすことができるやもと思い始めた^^