NHK「平安時代サミット2024」を見ました。
主に1000年頃、平安中期の話でした。
前期の桓武天皇や空海のことはでてきません。
完全に大河ドラマ「光る君へ」用でした。
ここでは自分の感想だけ。。。
まず時代背景として、死は穢れと言う思想だったみたい。
だから戦争みたいなのは、あまり起きなかったみたい。
神道の時代だったのかな?
でも明治時代は神道を国教として戦争起こしてる・・・
災害や疫病が多いのもあって、飛鳥・奈良に仏教も入って鎮護国家を目指したため、争いは御法度みたいになったのかな??
この災害や飢饉が多い中、政治は藤原氏が天皇の代わりに取り仕切ってる。
自ら責任を背負って、世の安寧に務めたのでしょうか?
誰もそんな重責の地位に就きたくないと・・・
中には、藤原氏でも欲をかこうとする者も出てくるけど・・・
平将門の乱、藤原純友の乱が藤原家全盛の前に起こってるが、国司同士の殴り合いに見える。
親兄弟のケンカが大きく発展したように見える。
相続で次男三男と多ければ土地は分割されていく。
不作となれば取れ高の少ないところは、領主様に怒られる。って感じ??
まだこの時代の荘園とかの統治制度を分かってないので、このふたつの乱が藤原氏全盛に導いたか分からん。
この頃(900年くらい)は菅原道真も左遷されてる。
894年に遣唐使廃止になったが、907年に唐が滅亡してるのも関係してるのかな??
960年宋王朝が立つまで、中国は乱れてたと思われる。
だから太宰府にいても唐物は入って来ないかも。
それが太宰府とその周辺に不穏なものを感じる。
九州が不況に陥ったような。
そして、宋の文化より、唐の文化の方を当時の人は好んだのかな??
ちなみに十二単とか絹織物の絹は、京都太秦あたりに養蚕が伝わって盛んになったそう。
蚕のエサの桑畑もあったのかな??
藤原道長・頼通の時代はもしかしたら、地方にも指導力を発揮して、災害後の荘園の管理や復興に全力を尽くしたとか。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」
曲解して解釈すれば、この世は自分が今生きてる間月食(=不吉なこと)が無ければと望む、と訳してみた。
でもうまくいってる人を嫉妬する人も出てくる。
そこで出てくるのが陰陽師の呪詛。
陰陽ブームは嫉妬から??
藤原道長の姉・詮子の子・一条天皇の最初の妻は定子。
後から道長の子・彰子も妻になった。
一条天皇が20歳の時、定子が23歳、彰子が12歳。彰子は幼すぎる。
だから清少納言優勢。
彰子が20歳になって立派な女性になるまで繋ぎ止めたのが紫式部の源氏物語ってのは、面白い逸話。
ドロドロの権力闘争のイメージがあったが、もしかしたら道長超有能説を唱えれば、源氏物語での光源氏人気にも繋がり、整合性があるように感じる。
長々書いたが、ほとんど自分の妄想です。
平安時代に疎いから、時代背景をちょこっと調べただけで、詳しく知りません。