「どうする家康」第38話「唐入り」 | テキトーに何か言ってるブログ

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甘っちょろい戯言です^^

「どうする家康」第38話「唐入り」を見ました。

この頃の家康の動向を知らなかったので、勉強になった。

文禄の役の時、家康は前田利家と並んで秀吉に重用されていたのですね。

作戦指示をしていたのが、実務家の石田三成と大谷吉継。

 

秀吉も家康も肥前名護屋城にいて、大政所死去の際、秀吉は大坂に戻るが、家康と前田利家が留守を任される。

 

で朝鮮の李舜臣率いる水軍が日本の水軍の一部を攻略。

補給に不安が出たことで、日本軍撤退の判断が必要だが、秀吉はむしろ朝鮮に乗り込んで陣頭指揮を行おうとしていた。

それを必死に止めようとした石田三成と徳川家康。

 

なるほど、茶々も名護屋城に来ていなければ辻褄が合わなくなるのか。

1592年に文禄の役が始まり、1593年に茶々がお拾い(後の秀頼)を産む。

京都の淀城で産んだのかな?淀殿って言われてた。

 

なぜ秀吉は朝鮮出兵を行ったか?

これもいろんな説が出ている。

徳川にとって秀吉が悪役になった方が江戸時代では都合が良いから、秀吉がもうろくして正しい判断ができなくなったとかが昔ありました。

自分の考えは、各大名を治めるのに褒美の土地が必要ってのもあるし、治めるために武威を示すってのもあるし、鉄砲・弾薬の原料の鉄・硝石の独占ってのもある。

足利義満が行った朝貢関係を崩したい狙いもあって、権威も身につけたいってのもあったと思う。

農民出身コンプレックスもあったかも・・・

 

秀吉を反面教師にして成功する家康の未来・・・

何が何でも秀吉より長生きするため健康オタクになる気持ちが分かった気がする。