邪馬台国はヤマト国かもしれない!
九州説から寝返るが・・・
卑弥呼の記述は中国の歴史書に記されてる。
これは朝貢関係の記録ではないかと。
中国にとって日本のトップが貢ぎ物を差し出すか関心がある。
卑弥呼が女王になって内乱が収まった。
そして米を送ってくることを記録している。
男王が立ったら戦乱になり、女王だと戦乱が収まる不思議な現象と捉えている。
臺与(とよ)もまた女王で戦乱が収まった。
この記述を読んだのは、唐の時代の則天武后だったり・・・
則天武后が弥勒菩薩の生まれ変わりとして治めたならば、卑弥呼は天照大神の生まれ変わりとして治めた可能性がある。
古墳時代が100年後に到来するが、秦の始皇帝陵を口コミから模した可能性を挙げる。
兵馬俑は埴輪に形を変える。
中国に魏志東夷伝が遺っていたのは、時の為政者が読んだからであり、弥生時代から稲作と同時に中国の先進的な文化も入って来たと思われる。
ただ、この頃の日本は識字率も低く、政治も儀式が多く、科挙も無ければ歴史書もない後進国。
官僚もいないので書物も遺ってない。
律令政治が徐々に日本に入ってきて、官僚が誕生し、識字率が上がり、書物や手紙が遺るようになったと思う。
朝貢を行ったのが九州の一豪族の可能性もある。
だから、卑弥呼が日本の女帝だったかは分からないと思う。
女帝ゆえ男社会の中国では好まれないため、卑弥呼という当て字が使われたか、中国の格下という意味で卑弥呼という当て字が使われたか定かで無いので、分からないになる。
魏や晋の時代の中国の書物を探るしか方法が無いような。
弥生時代日本に文字を書く文化が無さそうだから。