先日のテレ朝番組で本能寺の変で明智光秀が織田信長を討ったのは、武田氏滅亡の際、武田家家老・穴山梅雪が織田・徳川に寝返ったため、昔武田信玄と内通してたのがバレると思って、ノイローゼ気味になったので、好機と見て討ったと言う説。
でも1573年まで武田信玄は存命であった。
にも関わらず、1570年の金ケ崎の退き口で織田信長を討たなかった。
浅井・朝倉との戦闘で激戦は何度もあった。
にも関わらず討たなかった。
だからまだこの説に全幅の信用は置けないかも・・・
ただ、比叡山焼き討ちでようやく信長に近づける自身の格が備わったかもしれないので、実行できなかったかもしれない。
比叡山焼き討ちで敵を多く作ることも成功したが、自身に破格の待遇をした織田信長を裏切れなかったのかもしれない。
謎だ・・・