角川ソフィア文庫:中西進著:「古代史で楽しむ万葉集」を読んでます。
天智天皇の即位の時、近江の宮に遷都している。
その前の白村江の戦いで敗れている。
白村江の戦いで3万2千の兵を朝鮮に送ってるらしい。
これ盛ってる気がする。
当時の人口と船の安全性を考えると、博打に近いし、そんな数の男手をどこから集めた?となる。
陸路は獣道も多く、移動手段もままならないこの時代に各国から兵を動員できるほど、大和朝廷にそこまでの影響力は無い気がする。
戦国時代とは違うと思うから。
交易の中心ではあったと思うが。
この敗戦で奈良の都で政争があったのかな??
それで近江の大津に遷都したのかな??
大和朝廷は求心力を失ってるから、その跡目に大友皇子も大海人皇子もなりたがらなかったかも。
大友皇子が跡を継ぐが、どうも近江から東ばかりに注力し、奈良を無視してたよう。
奈良にいる大海人皇子は日干しにされると思って争ったのが壬申の乱なのか。
大海人皇子が即位し、天武天皇は白村江の敵であった中国を敬った節がある。
それが律令制度。
多分蘇我氏が中国に接近していて、それを討った中大兄皇子(天智天皇)は中国と戦って、敗戦したから天武天皇は再接近したのかなって。
憶測ですが・・・
天武天皇は吉野を大事にした。
しかし天武から持統の間もきな臭い。
皇子や皇女が政争してる・・・
でも持統天皇あたりに柿本人麻呂が台頭してきて、和歌も発展しそうな気配。
この7世紀後半の和歌を知りたくなった。
今日はここまで。