江戸時代 米と貨幣 | テキトーに何か言ってるブログ

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甘っちょろい戯言です^^

江戸時代の天領(幕府直轄領)で官僚やってる武士の俸禄。

旗本(1万石未満の将軍に面会できる人)がピンからキリまであるが500石~5000石くらい。

御家人(将軍に面会できない人)がだいたい200石。

 

この500石とかどんな数字だろう?で調べた。

 

1石=1両=10万円=米2.5俵=米150kg だいたいの数字

 

500石で年収5000万円。

200石でも2000万円。

 

武士はかなりもらっていた。

ただ江戸中期以降だと米価格も下落、貨幣価値も下洛するので、1両=3,4万円くらいになる。

 

天領で20000人が官僚として従事してたら200石×20000=400万石となる。

これが天領の石高のおおよその値踏みかなって。

 

でも、人件費だけで400万石使ってたら他の政策の予算は出てこないから、もっと俸禄は抑えられていたかも。

 

武士に俸禄200石渡しても、その世帯だけでは食いきれない。

だから米を売って貨幣に替える。

 

米相場が重要になってくる。

 

年貢率が一定の定免法ならば、米が不作でも年貢は回収するから、武士の俸禄も確実性がある。

不作だから米価格も高く、武士はウハウハになる。

豊作の場合は百姓が多く米を持ってるので米を売ることが出来る。

米価格は下がってるので、武士はきつい。

なにか矛盾してるから検見法(変動年貢率)ができたのかな??

米価格が動きすぎると米本位制では、社会不安を起こしやすいので、何かしら米流通に工夫をこらしたと見られる。

 

また社会背景と照らし合わせて、年貢率、貨幣改鋳、米問屋など気になる点も解決したい。

単なる趣味ですけど。

新田開発をして大幅に石高を増やしたけど、役人も同時に雇用したのかな??

役人と行っても公共工事の現場の人で、街道の整備や寺社の修繕とかで俸禄払って、消費者になってもらうとか。

米価格が気になってます。