鎌倉幕府滅亡の要因は、実はよく分かっていないことが判明。
光文社新書:木下竜馬ら著:「鎌倉幕府と室町幕府」の第5章に書いてあった。
源氏将軍→執権政治→得宗専制という流れがあったみたいだが、最近の研究では見直してるそう。
どうも執権北条得宗家を中心にシステム型専制が機能してたとか?
システムとは、御成敗式目など制度に従って御家人が合議し、その議長が執権なのかな?
よく分からんが、北条高時が暗愚かもしれないが、安定的に幕府は機能してたらしい。
足利高氏の裏切り、新田義貞の小軍勢が大軍になり、稲村ヶ崎で奇跡が起こるとか、バタフライ効果があったような。
北条幕府軍は楠木正成の千早城に10万の軍勢は送っていたような。
だから幕府は見放されてない。
が、、、500人の楠木正成を討てないあたり、やる気も無かったかもしれない。
後醍醐天皇に旨味があったのか?幕府に不満があったのか?分からず。
でも室町幕府はある程度鎌倉幕府を模倣してるとも。
足利高氏の裏切りで幕府打倒に流れが変わったっぽいが、やはり北条得宗家とその取り巻きに不満を抱く御家人が多かったのか??
自分の仮説。
親王将軍が後醍醐天皇のために根回しした!
根拠なし!
調べようもなし!
もう挫折した・・・