英雄たちの選択「伊達稙宗」 | テキトーに何か言ってるブログ

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甘っちょろい戯言です^^

英雄たちの選択「伊達稙宗」を見ました。

 

伊達稙宗:伊達政宗の曾祖父(1488-1565) ※桶狭間が1560年

稙宗は守護大名となって、積極的に土地を治めようとする。

桑折(こおり)西山城という巨大な山城を築き、交通の要衝にあって、】シンボリックな建物だと思われる。

 

稙宗は時代を先取りした政治をする。

・家臣を城下に住まわせる。(信長の小牧山城より先)

・法律を制定する。(塵芥集など4つの法令:分国法)(かなり細かく規定)

 

ただこれは先進的すぎた・・・

 

家臣を家臣の所領から引っ剥がし、さらに分国法は家臣の所領まで効力が及んでいた。

いわゆる中央集権化。

 

しかし、この頃はまだ家臣の独立性が高い時代で、家臣自ら自分の所領を統治していて、その統治権を奪ってしまった。

 

これにより、家臣は稙宗の息子の晴宗を担ぎ謀反を起こした。(天文の乱:1542年から6年間)

息子:晴宗の勝利。

 

鉄砲前と鉄砲後では考え方が変わり、鉄砲後は集団で一つの命令系統の法が機能しやすく中央集権に向いてるが、鉄砲前は家臣の御恩と奉公の鎌倉政治の名残が強いと思われる。

 

稙宗は隣国との政略結婚や幕府とのつながりなど外交をしっかりやってきたので、家臣に見限られた時点で、和歌や連歌で足利公方様や関東管領上杉様との交流をして権威を高めても良かったかもしれない。

でも稙宗はなんでも自分でやりたい性格のようです・・・