英雄たちの選択「古代人のこころ」を見ました。
【縄文時代】
北海道や北東北に多く暮らしていた。
白神山地が多い。
ここから考察。
縄文土器のアートに近い形や模様はなぜだろう??
暇な時間が多かったと思われる。
多分、狩りには行くけど、乱獲はしなかった。
必要な分だけ採集や捕獲をした。
後に食糧が無くなっては困るから。
だから時間はあったので、土器にいろいろ手を加えて作成していたと思われる。
そして土器に食糧のありがたみを表現していたと思われる。
ハープのような模様もあったので、楽器もあったのではないか??
楽し気な余暇を過ごしたと思われる。
縄文中期は人口増加し、気候も良いので、食べ物に困らなかったかも。
でも縄文後期は寒冷期に入り、人口も半数くらいに減っている。
土偶も中期と後期では違う。
中期は女性的、だが後期は男性的。
そもそもなぜ土偶が作られたのか??
実用性が全く無いように思える。
自分は土偶は死者を弔うために作ったと思う。
命が重く見られた時代だったかも。
中期は穏やかな死を迎え、後期は壮絶な死を迎えた。
悲しみや絶望を表現したのが後期の土偶だと思う。
【弥生時代】
稲作が大陸から伝わり、定住が始まった。
実用性や機能美を求めた土器となる。
また農作物の奴隷となり、時間がないかもしれない。
だから土器もシンプルかも。
信仰も太陽や水に変わっていったと思う。
木製品のスプーンの登場。
大陸から青銅器も伝わっているが、国産の青銅器だと思われるものも出て来てる。
区別や差別が生まれるようになる。
鍛冶屋や技術者などの職業も登場する。
上下関係も登場する。
大航海時代でもあった。
九州北部や山陰、北陸に集落の跡がある。
米がそれほど取れそうもない集落もあった。
朝鮮半島との交易を生業にしてたかもしれない。
灯台や環濠も見つかる。
中国から文字も伝わっている。
壱岐には高級ホテルがある。
海外の品物と倭の品物を物々交換してたかも。
日本最古の権(分銅)も見つかる。
米を量っていたかも。
泡玉(小さなガラス玉の集まりの首飾り)も見つかる。
福岡県糸島など交易を生業とした集落は海村と呼ばれる。
米があまり取れないが、立地を活かして交易で稼ぐ。
自分の考察では、
米の余剰が起こってくれば、別のものと交換したい欲が出ると思う。
そこで、海村で珍しいものと交換してくる。
【古墳時代】
弥生時代後期に巨大墳墓が出現する。
権力者の出現。
奈良の桜井市に箸墓古墳がある。
巨大な前方後円墳。
ヤマト王権があったと思われる。
全国各地に前方後円墳が出現。
交易ネットワークの目印と思われる。
前方後円墳は、後円墳に墓があり、棺に納めたら次の王が前方墳に向かい演説したと思われる。
ここから考察。
なぜ王は崇められたのか??
巨大な前方後円墳を作るのに民の協力が必要。
民が喜んで墳墓を作る関係性でなければならない。
そこで王に求められたのは国(集落)を富ませること。
だから王に必要なのは、インテリジェンス(頭脳)。
灌漑で米の収量を増やしたり、特産物を奨励し高値で売るなど領国経営の才能。
だから、保土田古墳では馬を特産品にまで育て、売ったと思われる。
王塚古墳は石室が横穴で、棺の部屋に上に星座、周りに幾何学模様と凄いものがある。
数学の知識に長けた王と思われる。
幾何学は測量に用いられ、灌漑が素晴らしかったと思われる。
星座は暦を示すので、農業で何をすればいいか適切な指示が出来たと思われる。
石室が横穴は崩れないように設計されているので土木作業も指揮していたと思われる。
天才が王になった時代ではないかと思われる。
王道と言うのもこの時代に生まれたかも。
ヤマト王権は特に経済の中心地で、大陸に乗っ取られないように、厳重な立地を為している。
伊都国(糸島)や吉備から移住があった可能性もあり、大陸からの物品が集まったり、航海術や造船技術も集まったかもしれない。
情報の集積地であったかもしれない。
この時期急激に文明が発達したと思われる。
その天才の王が、自分の子に帝王学を施し、家が出来て来たのかなって。
とにかく刺激的でした!
妄想が楽しかった!