英雄たちの選択「松永久秀」 | テキトーに何か言ってるブログ

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甘っちょろい戯言です^^

英雄たちの選択「松永久秀」編を見ました。

 

2018年放送の再放送なので、ウィキペディアと照らし合わせると解釈が違ってました。

だから、自分なりに考察します。

 

松永久秀は、天下を手中にした三好長慶に重く仕えていた。

三好長慶は実力主義で家臣に採りたてるので、松永久秀が忠誠を誓う根拠はそこだと思う。

久秀は由緒正しい家柄では無いが、三好長慶によって、文化的素養も身につけたと思われる。

そして主な仕事は外交。それも寺社勢力が主な相手。

巧みな交渉術を身につけたと同時に、仏教にも関心を持ってもおかしくない。

相手を知るには、仏教を知らなければならないから。

 

武人としても、1559年大和の筒井順慶を追い払っている。

英雄たちの選択では、奈良は興福寺や東大寺など寺社勢力が支配して、その土地の農民や地侍は仏門に心酔してるらしい。

だから、筒井順慶(興福寺の信徒)に勝ち、1560年に興福寺にも勝ったからと言って、土着している農民がコロッと久秀に従順するわけでもなさそう。

 

この大和支配を興福寺と協力して成し遂げたと思われる。

 

さらに久秀は、三好長慶が近江に追放した将軍:足利義輝との仲介役でもあるが、畿内で将軍に近い六角氏や畠山氏と交戦して勝利している。

将軍との不和はあったと思う。

1564年三好長慶が死去すると、三好三人衆(三好長逸、三好宗い、岩成友通)が大きな勢力となる。

1565年永禄の変が起こる。将軍:足利義輝を殺害。

三好三人衆と久秀の息子:松永久通の暴挙とも取れる。

 

ここから、三好家、松永家の権力闘争が始まる。

将軍権威が無いと畿内統治が難しい。

三好家は将軍に義栄を立て、松永家は興福寺にいた後の義昭を逃がしたらしい。

また三好家でも長慶の後継者に指名されていた義継(十河家の出)は松永氏についた。

三好三人衆は長慶の遺産をそのまま受け継ぎたかったかもしれないが、三好の血縁で無い三好義継や寵臣の松永久秀にもっていかれそうで、対立したのか?

その三好三人衆は大和に侵入し、東大寺に陣を置き交戦。

東大寺が焼けることになる・・・

 

三好家(&筒井順慶)と松永家はすごい抗争を繰り広げたが、1568年信長が足利義昭を奉じて上洛し、窮地だった松永家も救われた形になった。

 

それ以来、久秀は信長を助け、蜜月だった。

 

1572年信長に対し謀反を起こしたが、なぜかはよく分からない・・・

1573年武田信玄病死、足利義昭追放が重なり、孤立したので降伏。多聞山城を差し出す。

 

1576年、大和支配が宿敵の筒井順慶になり、1577年に信長に再び反旗を翻すも自害。

 

なんだかんだ苦労して統治した大和を信長によって取られたのが要因だと思うし、仏教に心酔して信長と反りが合わなかったとも考えられる。

足利義昭と信長が不和になってから、信長とも不和になったのかもしれない。

1571年比叡山焼き討ちも、仏教信者にとっては屈辱かもしれない。

と仮定してみる。