戦国時代の鉄砲の性質 | テキトーに何か言ってるブログ

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甘っちょろい戯言です^^

長篠の戦いで鉄砲が大量に使われた。

しかし、三段撃ちは無かった説が最近では有力。

じゃあなんで勝った?

 

鉄砲は止まった相手には絶大な殺傷力があると仮説を立てる。

 

家康の時代は、門の前に枡形で敵の動きを止め、狭間から鉄砲を撃つという城の防御が確立してる。

動いた敵が多い野戦では使いづらいが、防御の際、物凄く威力を発揮するのでは?

 

だから織豊時代の城攻めは、まともに攻めずに調略や、水攻め、兵糧攻めなど直接の攻城戦を避けている。

豊臣秀吉の北条征伐も大軍を見せて、広大な惣構えがあっても囲まれた。

鳥取城は日干し、備中高松城は水浸し。

 

石山合戦以来、まともに攻城戦をしてない気がする。

家康の大坂城攻めも、結局は大筒が登場したり、堀を埋めたりと。

 

となると、長篠城付近の設楽原で万全の城のような陣を張った可能性が高い。

馬防柵や土塁はもちろん、切岸とかもあったりしたのかも。

それと織田軍の長槍は本当に長いと聞いている。

これをずらっと並べて、相手足軽を近づけず、その一段高い所から鉄砲をつるべ撃ちしたとか。

設楽原が湿地帯の可能性とか。

相手を足止めした戦法が考えられる。

 

設楽原の地形が当時どうだったか知りたくなってきた!

どんな仕掛けがあったか気になる!