NHKEテレの知恵泉で太宰の生き方を紹介してた。
若い頃は本当にダメなやつだが、若い頃って何かと反抗してたなあ~~って思う。
「なんで勉強しなきゃいけないの?」
「あいつムカつく!」
「自分ばかりつらい目に遭ってる。」
感情を抑えれば抑えるほど暴発するものだと思います。
太宰の極端な感情と行動も、金持ちの子であるがため、抑制されて、その反動で極端になったのかなあと思います。
「晩年」は社会に対する反抗心というか憎しみで書いたものだから、生々しくもあり評価を得たのかなと思った。(読んでないけど・・・)
でも次の作品とかうまくいかないのも分かる気がする。
尖った牙が折れてると思うから・・・
ただそれでも女性ファンがいて、「女生徒」と言うパクリ作品が書けるテクニックは身につけていたのかな?
檀一雄という親友とのエピソードもあり「走れメロス」も書き、ダメ男ながらも書くことに陶酔していた節はありますね^^
ただ戦争が始まり、社会に対する憎しみは持っていて、最後まで迎合しなかったですね。
戦時中、実家に帰り「津軽」を執筆。
不条理に対する耐性はできており、人の痛みの分かる人になっていました。
そして、多分人の痛みを受け止めすぎるほど感受性豊かであり、それゆえ受け止めきれなくて入水自殺してしまったのかなあとも思いました。
弱い男だったけど、どこかのタイミングで不条理に対する耐性を身につけ、弱い男の支えになろうとしていたのかもしれません。
自分は没落後、社会に迎合し、人の痛みを避けて生きてます。
恥の多い人生かもしれません。
ただ手の届く範囲で、救いの手を差し伸べられる人間になりたいとは思ってます。
痛みに鈍感になってしまってはいるのですけれど・・・
太宰治がなぜ好かれるか少しだけ分かった気がします。
でも太宰を反面教師にしなければですね。
生きてこそです。