とりあえず幕末を勉強しようとして・・・
とんでもなく膨大な量の情報量にびっくりしている。
まだ文献をそんなに読み漁って無いので推論が多くなりますが、まとめます。
1853年のペリー来航は歴史的事件でした。
でもアメリカはただ、太平洋航路の補給基地が欲しくて港の開港を迫っただけにすぎないと思います。
1854年に日米和親条約を結びます。
これは友好関係を築こうぜと言うアメリカの意思なのかな?
むしろその後に結んだ日英和親条約にドキドキします。
イギリスは1842年に清とのアヘン戦争で勝利し、不平等条約を結んでます。
これがあったから日本は外国に恐怖したものと思われます。
このときのイギリスも敵対してたロシアとの開戦があるかも?と思って港の開港を迫ったと思われます。
ただ不運なのは、安政東海地震、安政南海地震、安政江戸地震と立て続けに巨大地震に見舞われ、国内が大打撃を追っていました。
日本の内情不安に乗じて、1858年にハリスさんがイギリスが来るよって脅して6月日米修好通商条約という不平等条約を結ばされます。
実際清でアロー事件があり、イギリス、フランス連合艦隊が清を攻撃し広州を撃破。
1858年4月天津条約と言うさらにきつい不平等条約を結ばされます。
4月は井伊直弼が大老になっているけど、天津条約との因果関係までは分かりません。
ただ筆頭老中堀田正睦が就任してから井伊大老が日米修好通商条約を締結したまでの出来事は追えそうなので、これからじっくり読んでいこうと思います。
そして幕府が勝手に不平等条約を結んだとなってさあ大変となっていくわけです。
ここまで追ってみて、イギリスが政府主導から民間の自由貿易を推進したけど、民間のブルジョワさんたちの悪知恵が働くようで金儲けのためなら何でもやるって感じ。
そりゃ清も怒るよってところでイギリス艦隊引き連れてケチョンケチョンにしちゃったから、アジアの大国を簡単に破るパワーバランスを知った日本が震え上がったんだなって。
イギリスにとって日本を植民地化するのと、貿易の取引相手にするのではどっちが得か?って考えてるけど、まだ掘り下げられてないです。
つまり膨大な情報量に困惑してます・・・
歴史を学び直してるけど、こりゃ大変なことを始めたなと思いつつ、面白くもある^^
5年の出来事進めるのにこんなに時間がかかるとは・・・
1861年にはアメリカは南北戦争おっぱじめてるけど、日本とどう関わってるか早く知りたいのです!