日本人は知識と知識が組み合わさったとき、感動で物語を創るのでは?
自分の傾向は、実に帰納法的で、事実とされるものと他の事実とされるものが用意されると、空白を推論で埋めようとする。
本能寺の変とか古代日本とか顕著。
これは自分だけではなく他の人もストーリーを創るから盛り上がっている。
ただ自分のストーリーを信じたくて、観察を辞めてしまう、新たな事実を否定してしまう傾向にあるかもしれない。
でも他人のストーリーは疑うかもしれない。
例えば「桃太郎」
いつの時代の話?
いつ鬼が危害を加えた?
桃太郎は金銀財宝を持ち帰ったのか?
犬猿の仲の犬と猿はともに行動できたのか?
きびだんごをキジは食べれたのか?
きびだんごは桃太郎の弁当なのか?
桃太郎は誰に武芸を教わった?
これらを具体化すると、いろんな人のいろんなストーリーが生まれる。
最近は文章に余白があれば埋める文化が流行ってる。
考察文化と言うのでしょうか?
みんな物語が好きだから、より面白い背景や設定を考えたくなるのかもしれない。
国語教育しなくても、何に触れるかでそれに付随した語彙が増え、考え方が偏って行く。
問題なのは、多様な意見を受け止められるか。とか、新しい考えを受け止められるか。だと思う。
自分も受け止められていなかった。
積み立てNISAによるオルカンやSP500に投資で円安になる。
それにこだわりすぎて、1ドル180円でもなんとかなるかもと言う思考が回らなかった。
そこは事実が欲しいところ。
実際値上げしてる食品企業は何に苦しんでいるのか?
トヨタはサプライヤに5兆円支援してるが円安対策だったのか?
オルカンを選ぶのは純粋に一番安全に資産を増やせるからだと思う。
解像度も低いし、反対側の意見も聞いて無い。
そもそも状況を知る手段がGeminiだが、アメリカのストーリーに乗っているのでは?
とは言っても、神でも無いので状況をすべて把握する手段は無い。
統計学でも12000万人のことを調べるのに、サンプル数はランダムで抽出した1000人ほどで良い根拠をよく知らない。
だいたい同じ確率になるのだろうか?
選挙の開票率0%で当確も根拠が分からない。
出口調査で嘘をつく人はいないのか?
サンプル数はどれくらいなのか?
だから今、解像度をどう上げれば良いのだろう?
どれくらい言語化できれば発言に値するのだろうを考え始めて袋小路実篤。
とにかく日本人はストーリーを創るのが好きだから、ずっと観察し続けることは難しいのではないかなと思う。
演繹的に、
A+B=C
C+D=E
E+F=G
始めはCと言う考えだったけど、だんだんEになり現在Gになっていると言うのが一般的だと思う。
でも実は
G-B=H
と言うBが間違えだったと言う事実を得るとHが破綻していることもある。
(これは帰納的かな?)
ま正直円安原因なんて分からないのだけど。
オルカン買い支えてる人がいるけど、その時莫大な米国株を売って円にしてる人がいるかもしれない。
状況は複雑に絡み合っている。
でも状況を把握できる立場の人がアラートを鳴らさないと問題ないことになる。
オルカンやSP500を買い支えてアラートを鳴らしてる人がいないので、自分が間違っているのでしょう。
資産形成のため確実な選択をすれば良いと思う。
自分は解像度が低いみたいなので、政治発言は慎みます。
