今は天国にいる母は

高等女学校生だった17歳のとき

学徒動員で広島県呉市の広海軍工廠にいました。


広島に原爆が落ちた日、

海軍工廠から原爆のキノコ雲を見ながら

「あれは何だろうね?」と皆んなで話していたそうです。


まもなく、どうやら広島が大変なことになっているらしいことがわかって

広島市内を通らないルートで

実家のある島根県に帰ったと話していました。


会ったことのない母方の親戚が

広島市内で被曝していることも

一度だけ話してました。



生前、母は戦争のことをあまり話さなかったので知らなかったのですが

広海軍工廠にも爆撃機がやってきたことを

ネット検索してみて知りました。

防空壕に逃げきれず負傷したり亡くなった方もいたのを知りました。



私は新幹線が開通して

東京オリンピックが初めて開催された後に生まれてきて

高度経済成長の中、育ててもらって

戦争の不安とか、食べ物も着る物もないとか

そんな心配は無用で生きてこられたけど


母はたった17歳で

戦争の悲惨さに身を置きながら

本当なら勉強していたはずの時間を

海軍工廠で過ごしていたのだなぁ、



戦争はダメだと思う。

人の冷静さを失わせてしまいます。

何のために戦っているの?

何で人の命を奪わないといけないの?



ウクライナの戦争のニュースが毎日のようにあって

今年はそんなことをよく考えます。


息子たちが戦争に駆り出されなくても良いようにしなくては。



一日も早く平和が戻りますように。





☘️5月に行ったメタセコイヤ並木