春分の日
もうすぐお昼の12時になりますが
夫も、帰省中の息子も
起きてくる気配はありません〜



ずっと思っていて
でもどう書いて良いか迷っていたことについて
今日は思い切って書いてみようと思います。
がん診療拠点病院と自由診療のことについて。


初発の時は非浸潤性のステージ1。
TUR-bt(系尿道的手術)2回とBCGを受けたけど
1年後にリンパ節に転移してることが発覚。
転移4箇所のうち1箇所は腎門部リンパ節という場所で遠隔転移でした。
この時点でステージ4。
この後のことは
このブログにも書いた通りです。
主治医のK先生に出会えたことが
今こうして元気に生きていることに繋がったのだなぁと
いつも本当に感謝しています。
術後1年のCT画像でリンパ節の腫れが見つかったとき、それが癌の転移であるのか否か分かりませんでした。
膀胱内はとても綺麗で再発はなく
二度目の手術でも癌細胞は確認されていなかったのです。
それでもK先生は
「抗がん剤治療を急ぎましょう。縮小するなら癌の転移です」
とすぐに抗がん剤治療の手はずを整えてくれました。
その日中に放射線科の先生ともカンファレンスをしてくださり、同時化学放射線治療を早急に始めることが出来ました。
入院中も、朝夕の回診時に必ず「頑張りましょう」と握手をしてくれました。
本当は心が折れて潰れてしまいそうだった自分にとって
K先生の握手と穏やかな笑顔は、治療を頑張る、治るおまじないでもありました。
治療が終わり、退院。
その後初めてのCT画像には一番大きかった転移巣がまだしっかり写っていました。
温熱治療(ハイパーサーミア)と同時に
免疫療法(γδ-T細胞)も受けたいということをお話ししたところ
病院の規定で自由診療についての紹介状が書けないということを、申し訳ないと言ってくださいました。
K先生の勤務している病院は
地域のがん診療拠点病院で、
先生は泌尿器科の部長先生でもあります。
紹介状を書いてもらえないことについて
K先生を責める気持ちはありませんでした。
でも、代わりに画像データをCDにして渡してくださり
治療を受けるクリニックの担当医の先生とは
電話で直接、診療情報のやりとりをしてくださいました。
その後、免疫療法を受けるにあたって
K先生のもとで始めた維持療法の抗がん剤が
減量されました。
免疫療法の担当医とK先生がたまたま大学時代の師弟関係であったこともありますが
それでも電話でやり取りしながら治療の調整をしてくださったことは
とても有難いことだったのだと、
他の皆さんのブログを読ませていただいたり
お話を聞かせていただくようになって
初めて知りました。

今はK先生のもとでの維持療法は終了していて、温熱治療(ハイパーサーミア)と小容量抗がん剤治療をひと月に一度のペースで受けています。
定期検査は4ヶ月に一度、K先生のところで継続して受けています。
クリニックでの治療は継続していますが
主治医はあくまでもK先生であるということは
今もずっと変わっていませんし
定期検査の外来で温熱治療の状況について話したことは、カルテに記入されています。
本当は、K先生の立場からすると
難しい立ち回りの仕方をしてくださっているのかな...と
申し訳ないような気持ちになってしまうのですが
K先生はそのようなことを一切言われず
態度にも全く出されず、
いつも誠実に対応してくださっています。


転移の疑いが発覚したとき、早急に治療を始めることを即決してくださったこと。
私のような状況についてガイドラインでは延命治療しかないところを
一か八かの同時化学放射線治療を決めてくださったこと。
入院中もその後も、治療そのものだけでなく精神的にも支えてくださったこと。
自由診療である免疫療法を受けることについて快く了解してくださり
紹介状は書けなくても他の方法で、先方のクリニックと情報共有だけでなく治療の調整もしてくださっていたこと。
今も主治医として経過観察や検査をしてくださっていること。
こうして私が今生きているのは
間違いなくK先生のおかげです。
安心して治療に臨める環境を作ってくださっていたことも、自分自身の免疫力を上げていくことに大きく繋がったのだとも実感しています。
K先生のようなお医者様が
きっと日本中にたくさんいらっしゃると思っています。
標準治療と自由診療
ガイドラインの治療とそうでない治療
の狭間で
お医者様たちが立場を考えなくてはならないような状況が、少しでも改善されますように。
心あるお医者様が
思う診療が出来ずに心を痛めることのない
そんな仕組みが出来ますように。