退院した日の翌週木曜日に
K先生の外来を受診しました。先日受けた手術(TUR-BT)のときに採取した
ガン細胞の組織診断結果を聞くためでもありました。
手術が無事に終わった安堵感もあってか
その日はあまり緊張していませんでした。
このまましばらくの間、経過観察があって
無事に完治するんだろうなぁ、くらいに思っていました。
自分の番号が表示されて、K先生の診察室に入ると
K先生が、少し真面目な顔をしてこちらを見ていました。
私が椅子に座るとすぐに
組織診断結果をパソコン画面に表示してくれましたが
英語表記だし、専門用語ばかりなので
私にはさっぱり意味がわかりません(^^;;
するとK先生から
「残念ですが、グレード3でした」
という言葉が。
そう言われても、私にはそれがどういうことなのか?
先生が残念というほどの、そんな大変なものなのか?
さっぱり分かりません。
「それは、どういうことですか?」
と、恐る恐る尋ねると
グレード3というのは、一番顔つきが悪く
悪性度の高いガンであること。
私の場合、筋肉層にまでは達していない
T1G3 という状態で
その場合は、本当に筋肉層にガン細胞が及んでいないか
再度、ガン細胞があったところを
広く、深く組織を取って調べる必要がある。
とのことでした。
私: 「そうなんですね、筋肉層にまで及んでいるとしたら
5年後の生存率はどのくらいですか?」
K先生:「統計上では、25パーセントと言われています」
私: 「4人にひとり...ということですね。わかりました」
なぜか、この時は
あぁ、そうなんだなぁ...と、ぼんやり考えているだけでした。
なんとなく、だったら、そのひとりに入ればいいんだな
と思っていました。
K先生は
「申し訳ないです」となぜか謝ってくださり
「いえいえ(汗) K先生のせいじゃないですから」
と逆に先生を励ますようなことを言っていたりと
なんだかおかしな状況になり
前回の手術から約1ヶ月後の12月4日に
2回目のTUR-BTを受けることになりました。
診察室を出て、看護師さんに連れられ
別室の相談室のようなところへ行き
前回と同じような入院のための書類の説明を受けました。
そしたら
ついさっきまでは何ともなかったのに
涙がこれでもか、というくらい溢れて
「私はまだ死ねないんです」
「まだ学生の子供がいるんです。夫のことも置いていけない」
「ガンになんて、なっていられないんです」
と、看護師さんに背中をさすられながら
しばらく泣いていました。
***
私がガンになって
このくらい泣いたのは
多分、この日を初めとして、3回くらいしかありません。
泣かなかった、のではなくて
泣けなかった
というのが本当のところで
大泣きできたらどんなに心が救われるか、
と、
再発してからはずっと思っていました。
でも、この日、看護師さんの前で泣いてからは
もう前を向いていました。
だって、まだ筋肉層にいってるかなんて
分かってないのだから。
K先生は、手術のとき
取れるだけ全部しっかり取りましたって
言っていたのだから。
大丈夫、きっと私の中に
ガン細胞はもう無いはず。
そう自分に言い聞かせていました。