結果的にお隣さんをディスる内容になりそうでなかなか書けなかったんだが、やはり疑問は疑問として書き留めておきたいし、今後、何かしらの解が見つかるかもしれないという期待を込めて。
日本には「箸」という食器があり、和食と分類されるものは全てこの食器ひとつで食する事ができる。欧米にはフォーク(食材を刺したり、切る際に抑える)、ナイフ(食材を切る、食材を寄せる)、スプーン(食材をすくう)という食器が存在する。日本の場合、フォークとナイフの役目を箸のみで行い、汁物については椀に口を付けて食しているはず。欧米のスプーンのように汁物をすくうだけでなく、フォークで刺して口に運ぶのが困難な細かい食材(映画ではグリーンピースのような豆類が多く感じる)を一気に食すのに適しているが、日本の場合、どう頑張っても箸でひとつずつとなってしまうところ、日本と欧米の食文化と身体の構造に関係しているような気がする。フォークも同様だ。箸で切れないような食材は和食の調理法に無いような気がする。もしかすると、案外、昔は未開で手でちぎっていた可能性は捨てられないが…。まぁ肉類を食すには箸よりは手の方が便利だろうとは思う。しかしながら、和食での肉の扱いは塊というよりは箸で食べられる調理法な気がするし、そもそもたんぱく質という意味では肉よりも魚であっただろう。魚から骨をとり、身を食すのには欧米の食器に比べ、箸ほど適したものは無いと思う。
さて、お隣りの食器に関する私の疑問は、まずは素材。今ではステンレスが主流らしいが、古くは銀や真鍮だったらしい。いずれにしても、両班以上の支配層の食文化だろうとは思う。箸自体は日本であれお隣りであれ、大国からの伝来のはず。日本も古い時代の支配層は匙も併用していたらしい。いずれにしても素材はもともと「木」であっただろうと思う。それでは、お隣りの庶民は木の箸を使っていたのだろうか?というか、それしか使いようが無かったはず。銀、真鍮の食器が庶民、ましてや被支配層では入手できなかったことと思う。日本だって農民たちが箸を使いだした時代がいつ頃だったことやら…。被支配層のなかから豊かな者が現れて、支配層の食器文化を学んで真似たのはどこの国も同じだろう。話を戻して、銀、真鍮という素材だが、一節には毒に反応する素材で暗殺を防いだといい、古くは大国がそうであったのが伝来してきたものだろう。お隣りは大国におもねる歴史を続けていたわけだし。しかし、その大国は現在は素材の主流は木なのだ。何故にお隣りは変わらなかったのか?という疑問。ちなみに、ステンレス食器はインド料理でもよく見られる気がする。
もうひとつの疑問の方が深くて…なぜ、お隣りの匙はあの形なのか?ひとつは匙の深さ。あの早さと効率化だけを重視する民族性が浅い匙を使い続けているのが不思議だった。話によると、箸は米以外をつまむためで、米は匙で食べるのがマナーらしい?確かにビビンパプのように「かきまぜる」料理が多く、それに適した形は浅い匙だろう。そして、あの無駄な長さも汁を飲むことよりも、何かをまぜるための用途が優先された結果のような気がする。すると。ふと想像してしまうのだ…。そもそも庶民が使い始めた匙はもっともっと浅くて、ほぼ平たかったのでは?と。その名残が今の浅い匙に残っているのではと思うのだ。そもそも日本のように汁物を口をつけて飲む事はマナー違反らしいが、あんな熱が伝わりやすそうな食器はそもそも持てないだろう(笑。それに、飲み干す際に口を付けて飲んでいる場面を何度も見た事があるので、心の奥底にある「日本人のようにしてはダメだ」という変な意識が垣間見える。それにしても、あの匙の浅さはどうしても解せない。早く大量に飲むためにはもっと深い方が便利だと思うのだが…。そういう意味ではどの国よりも大きなレンゲ状の食器に進化しそうなものだが。例えば、食用ハサミだ。昨今の日本でもそれを使う輩が増えだしていて危機感を感じているのだが、老い先短い私には関係ない事だ。そもそも、ハサミを包丁のように衛生的に使い続ける事が可能なのだろうか?どうしてもあの交差している部分が気がかりだったりする。あげくには最近のお隣りの食べる動画配信者のなかには、さっき話したドデカいレンゲ状の匙や、ピンセット状(トングの細い系?)の食器も登場してくる。これこそが私の思い描く、早さと効率性を重視した民族性だ。そうなるとやはり匙の浅さは不可解で仕方ない。
最後は余談的要素だが、何故にあれほどまで一気に口にほおばるのか?いくつもの食材を一度に口に入れたがる食文化が不思議で仕方ない。まるでまだ被支配層の意識が抜けず、早く食べないと誰かに奪われるという潜在意識なのでは?と思ってしまう。おそらくは、ああいう食べ方が「美味しい」と思っているからだろう。食材ひとつひとつの味を楽しむ文化は、確かに日本でも滅びつつあるのかもしれないが、そもそも存在しないような気がする。というか、なんでも真っ赤なのもどうなのだろう?お隣りの唐辛子の歴史はそれほど古くないはずなのに、何故に現在の料理がああも赤いのか?実は、田舎の料理などを見ると、意外と味噌系だったり、色の薄い料理が多い事に気づく。おそらく、味も日本の田舎の味と近いのでは?と見た目から想像してしまう。
なんにせよ、疑問に思った事を調べると、変な言い訳ばかりが出てくるのがお家芸なのだ。きっと本当は、単に伝達してきたものを改良する意識が無かったとか、技術力がそもそも無かったなどと違う理由があるはずなのに、それを隠そうとして違和感が生まれてるように気がする。これは食器だけでなく、文化面の至る所に見て取れる。驚くほど小皿のオカズが出て来る文化も最初は大国の文化だったのが、未だにそれが残っている理由なんかも訳ありだったりするのかもしれない。「情」の国だから?確かに「感情」優先なのは納得するが、いつか本気で調べてくれる知恵者がお隣りに現れてくれる日が来るといいのだが…。そんな人物は民族を侮辱したと裁判にかけられるのがオチだろう。