私は、ホッとしたんです。
35歳でした。
がんの検査薬を開発する仕事をしていて、
その真っ最中に、自分ががんになった。
そのときに思ったこと。
「ああ、これで、私にも
何にも脅かされない存在価値ができた。」
自分でも、モヤっとしました。
今、なんか変なこと思ったな、と。
そのモヤモヤは胸にあるんだけど、
息をころして、そっと見る感じ。
胸の蓋をあけてみたら、
どうしようもなくなりそうで。
自覚はある。
でも、それ以上は触れない。
そして、すぐこんな考えが浮かびました。
派遣社員という中途半端な立場で
働き続けているから、そう思うのかな、と。
でも、だからと言って
正社員として働きたいわけではない。
じゃあ、私は何を
そんなに苦しく感じていたんだろう。
派遣社員だから?
でも、正社員もいや。
頭の中でこの無限ループがつづき、
どこへもいけない。

そんなふうにして、何年もすごしました。
その本は、【がん】で検索すると

『がんはスピリチュアルな病気』
(本の紹介記事も書いています→★)
タイトルで、
勝手にふわふわした本だと思って
敬遠していました。
記事ネタを探していて、
ふわふわしているのかと思いつつも
買ってみたんです。
そしたら・・・
本の中に、こんなタイトルを見つけました。
「がんが答えだった」
引き込まれるように読みました。
著者のマクファーランドさんは、
ある友人が初めてがんの告知を受けたときの
言葉を紹介していました。
「がんが答えだった」
そして著者自身も、
がんになったときのことを回想して
こう書いています。
私の予定表は、
がんのおかげですっかり白紙になった。
(中略)
病気はなんという
ゆがんだ安らぎをもたらすものか。
期待をいっさいかけられずに
こうして横になっているだなんて。
ゆがんだ安らぎ。
ああ、私のあれか。
胸の奥で、息をころして
そっと見ていた、あれ。
名前がついた。
ゆがんだ安らぎかーー。
* * *
名前がついたからといって
何かが変わったわけではありません。
私は、派遣社員から正社員になり
それもやめてセラピストになっていました。
それでも。
あの頃の胸の重さが
そのまま蘇ってきました。
触れてはいけないような、
心のひっかかりのような・・・
* * *
でも、あの頃とは少し違っていました。
当時の私は、息をころして
ふたをあけないようにしていた。
そして今は
マインドフルネスを知って
心に向き合ってきてこう感じます。
ここに私のテーマがある。
この胸の重さに、
優しい眼差しをむける。
胸の重さは、なくすべきものじゃなく
まだ置き去りになっている、
私の大切な一部分。

マインドフルネスで、
こころの重さに居場所をあげると
そこから癒しが起こる予感があるんです。
* * *
セラピストとして、たくさんのかたと
座らせていただくようになりました。
そのなかで、感じることがあります。
「昔からずっと、これがあって」
「夫への怒りがあって、
このままでは、がんが再発する気がして」
そんなふうに話し始めるかたは
もう、ご自分の内側を向いておられます。
しんどいものを、すでに掴んでいる。
「がんは心が関係しているらしい。
だから、心を見つめたい」
そう来てくださるかたもいます。
そのお気持ちは、よくわかります。
私も、なんとかしたくて
もがいたことが何度もあります。
治りたいという想いは、そこにある。
応援したい気持ちも、もちろんある。
でも、クライアントさんの本音より
これまで通りの頑張りが前面にでていると
少し立ち止まりたくなる。
* * *
「がんをなんとかしたい」
その思いでいっぱいになると、
どうしても意識は
がんのほうへ向かいます。
どうしたら治るんだろう。
何をすればいいんだろう。
何がいけなかったんだろう。
そうやって、
がんをなんとかしようとする。
けれど、そのとき、
「私は、何を
そんなに苦しく感じているんだろう」
「本当は、どうしたかったんだろう」
という“わたし”自身への
優しい眼差しから遠ざかってしまいます。
セラピストには、診断ができません。
「ここが原因ですよ」と
私が決めることもできません。
その人の中にある
「ここだ」という感覚が、入口になります。
* * *
メルマガを読んでくださっているかたが
セッションに来られることがあります。
そのときに、こう言われるんです。
「読んでいて、
自分もそうだって感じました」
読んでいるあいだに、その方の中で
何かが動いたのだと思います。
はじめから「ここだ」を持っている必要は
ないのかもしれません。
読んでいるうちに現れてくることがある。
* * *
心の癒しは
頭で想像する範囲を
超えたところにあります。
胸の重さや苦しさを
なくそうとするのではなく、
そこを感じながら、
何があるのかを一緒に眺めていく。
好奇心をもって。
すると、思いがけないところから
癒しが起こることがあります。
あの本にあった言葉
「たしかにがんは答えだった。
自分をばらばらに分解して
思いもよらなかった方法で
組み立てなおすためには必要だったのだ」
まさにその通りだと思うのです。
自分の中にあったものに気づいたとき、
「ああ、これだったのか」と
ふっと力が抜けることがある。

それは、
がんになってホッとした
あの感覚とは違う、
もっと静かで深い喜びのある安堵です。
そういうものだと感じています。
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