
がんになってから、
私の時間の感覚は変わりました。
当たり前の日常が、
いつ失われてもおかしくない。
そう知ってしまってから、
私は以前のようには、
無理ができなくなっていました。
そんな中での、
母との同居でした。
母は不安を訴えることが多く、
私はその重さを受け止めながら、
自分を保つことで精一杯でした。
不安を受け止め続ける毎日は、
少しずつ、
私の心をすり減らしていきました。

やがて母は施設に移り、
離れて暮らすことになりました。
ようやくお互いに息ができる
そう感じはじめた頃のことです。
母の乳がんの再発が、
見つかりました。
皮膚再発でした。
実は母は、自分の胸の変化に
ずっと前から気づいていました。
「再発じゃないか」と、
何度か私に言っていました。
でも母は、
不安を口にすることが多い人でした。
私は「まさか」と思って、
あまり深く受け取っていませんでした。
再発とわかったとき、
母は静かに言いました。
「やっぱりね。」
その言葉が、
胸に刺さりました。
申し訳なさ。
ショック。
そして自分への問い——
いろんなものが
一度に押し寄せてきました。
さかのぼると、
母の乳がんは左乳がん。
ステージⅠ。
ホルモン受容体陽性で、
手術も小さな範囲で済んでいました。
一方の私は、
右乳がん。
トリプルネガティブで、
抗がん剤治療を受け、
胸の変形も大きいものでした。
左と右。
まるで対になるように、
母と私は乳がんを経験していました。

私の発病から7年後、
母は70歳で乳がんになり、
そして78歳で再発しました。
私は乳がん経験者。
そして以前は
乳がん検査の開発に関わる
研究者でもありました。
母の診察には付き添い、
医師から治療の選択肢を
一緒に聞きました。
「わからないから、あなたが決めて」と
母は言いました。
抗がん剤という選択肢もありました。
でも、
施設で一人暮らしをしている母が、
精神的にも落ち込みやすい母が、
一人で抗がん剤治療を受けられるだろうか。
78歳という年齢で・・・
心身への負担を考えて、
私が選んだのは
分子標的薬のイブランス——
CDK4/6阻害剤でした。
以前の研究で、
CDK関連の仕事に
関わっていたことがある私。
ただ
祈るような気持ちでいました。
どうか
この薬が効いてほしい。
娘としての気持ちと、
元研究者としての知識と、
申し訳なさと、
願いと
母が施設で、
少しでも穏やかに過ごせますように。
ただ、
それだけを思っていました。
(後編へ続きます)

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