がんをきっかけに幸せになる*生き辛さから自由になる*ライフアートレッスン

がんをきっかけに幸せになる*生き辛さから自由になる*ライフアートレッスン

マインドフルネスとアートを使って自分への思いやりを育むセラピーをしています。
がん体験者さんや、生き辛さを抱えたアダルトチルドレンの方のサポートをさせていただいています。

 

 

 治療が一段落したあなたへ。

 

「よかったね」
「もう大丈夫だね」
 

そう声をかけられるたびに、
どこかモヤっとしませんか?
 

なぜか少しだけ、
置いてけぼりにされたような気持ちになる。
 

あなたは、こんな感覚に
心当たりはありませんか?
 

私もそうでした。
 

これからお話しするのは、
そこから始まった、私自身の話です。

 

 

 

 

 

 主治医に会えなくなる、
という寂しさ

 

私は35歳でがんになり、
手術のあと、
半年間の抗がん剤治療を受けました。

 

その治療が終わったとき――
主治医の先生に、もう会えなくなる。

 

そのことに、
私は寂しさを感じたんです。

 

私の主治医は、
診察室に私が入っていくと、
いつも立ち上がって
「お待たせしました」と
迎えてくださる方でした。

 

その存在に、
私はずっと支えられていたのだと思います。

 

治療が終わるって、
本当は喜ばしいことのはず。

 

解放されて、嬉しいはず。

 

なのに、寂しい。

 

これって、何か変だぞ。

 

そう感じた瞬間が、
今思えば、私の中で
何かが動き始めた最初の瞬間でした。

 

 

 

 戦って生きていた私

 

それまでの私は、
がんの検査薬の開発の仕事をしていました。
 

どうしたら、よい検査ができるか。
どうしたら、再現性のあるデータが取れるか。
 

そんなことを、毎日考えていました。

 

理系の世界で、
客観性とエビデンスを何より大事にして。

 

誰にも頼らず、
自分のお尻は自分で拭く。

 

そうやって、
必死で役に立たないといけないと思って、
戦うように生きていました。

 

 

 

誰かに支えられる、という経験を、
私はあまり自覚していませんでした。

 

むしろ、寂しさを感じたあのとき――
「私、病院に依存しているのかな」
そう解釈したんです。

 

「支えてもらえて嬉しい」ではなく、
「依存している自分は変だ」と。

 

今ならわかります。

 

「支えられること」を、
私は自分に許可していなかったんだと。

 

でも当時は、そんな自覚もなく、
ただ、何かが変だ、
という違和感だけが残りました。

 

 

 

 「あなたはどう感じますか」と問われて

 

がんになってから5、6年が経った頃。

 

しんどさを解消したくて、
私はNLPという
実践心理学を学び始めました。

 

そこで初めて、
「あなたはどう感じますか」
と尋ねられる体験をしました。

 

理系の私にとって、これは衝撃でした。

 

それまでの私は、
客観的なこと、
誰がやっても再現できること、
エビデンスがあること――

 

それ以外は存在してはいけない
くらいの感覚で生きていました。

 

主観なんて、信用するものじゃない。
そう思っていたんです。

 

なのに、
「あなたはどう感じますか」と問われる。

 

自分の主観を大事にするということを、
そこで初めて経験しました。

 

科学者だった私が、
科学の外側にある「自分の感覚」を、
ようやく許したんです。

 

 

 

 

 眠れない夜と、色鉛筆

 

NLPでの体験は、
思った以上に深いところまで届きました。

 

内面に光を当てているうちに、
無意識から本音が溢れ出してきて――

 

夜中にパカッと目が覚めて
頭を掻きむしって
眠れない夜が続きました。

 

そんな日々が、2ヶ月ほど続きました。

 

怖くはありませんでした。
ただ、ひたすら困っていました。

 

眠れない。
でも、その衝動は収まらない。

 

そんな夜、私は色鉛筆を握って
絵を描いていました。

 

今振り返れば、
一人アートセラピーだったのだと思います。

 

理系で、
言葉と論理で生きてきた私が、
色と線に向かっていた。

 

身体が、頭を超えて、
自分の表現の方法を選んでいたんです。

 

それでも、どうにもならなくて――

 

私は初めて、
個人セッションをお願いすることにしました。

 

「自分でなんとかする」が
体に染み付いた私の、降参の瞬間でした。

 

 

 

 身体は、答えを知っていた

 

セラピストの先生は、
私に呼吸のワークをしてくださいました。

 

うつぶせになって、
深く呼吸ができるように背中を押してもらう。

 

ただ、それだけのことでした。

 

なのに、その瞬間――
勝手に体が転げました。
そして大号泣したんです。

 

何が起こったのか、
自分でもわかりませんでした。

 

ただ、身体が動いた。
涙が溢れた。

 

そして、その翌日から、
私は、すっきり眠れるようになりました。

 

何が起こっていたんだろう。
本当に、驚きました。

 

エビデンスがないと
存在を許せなかった私が、
自分の身体に起きた、
説明のつかない解放を、否定できなかった。

 

身体は、答えを知っていた。

 

頭ではなく、身体が、
勝手に転がって、勝手に泣いて、
何かを終わらせた。

 

科学者だった私が、
科学を超えた場所に、
辿り着いた瞬間でした。

 

 

 人生は、味わい尽くすためにある

 

それから私は、ハコミセラピストになりました。

 

身体に意識を向けることで、
がんになる前からの苦しさが、
少しずつ解放されていきました。

 

そして母をがんで看取ったときに、
深く腑に落ちたことがあります。

 

人生は、
味わい尽くすためにあるということ。

 

戦うためでも、
役に立つためでも、
誰かに認められるためでもない。

 

ただ、
味わって、楽しんで、
心を喜びで震わせるために
私たちはここにいる。

 

がん検査薬の開発をしていた私が
がんになって初めて、
生きることを学びました。

 

 

 

 

 最後に

 

治療が一段落したあなたが、
これからをどう生きるかを探していくための
言葉を、置いていきます。

 

頭ではなく、身体から。
戦うのではなく、味わうために。

 

「よかったね」と言われても、
まだ何かが残っているあなたへ。

 

その「何か」は、
あなたの身体が、
あなたに伝えようとしている
大切なものかもしれません。

 

ここで、ゆっくり、
一緒に探していきましょう。

 

 

お知らせ:noteを始めました

 

このサイトとは別に、
noteでもマガジンを始めました。

「がんをきっかけに幸せになる」
というマガジンで、
治療が一段落したあなたへ、
これからをどう生きるかの
言葉を綴っていきます。
気が向いたときに、
覗いていただけたら嬉しいです。

 

 ▼ noteマガジンはこちら 

がんをきっかけに幸せになる|認定ハコミセラピスト🍀長岡由子|note

 

 

もう少し、深く
一緒に歩いてみませんか

 

このサイトとは別に、
21日間のメール講座を
無料でお届けしています。

 

・自分を支える技、センタリング
・病気は罪ではない
・心と身体のふかーい関係
・身体は嘘をつかない

 

そんなテーマを軸に、
私が10年以上かけて辿り着いた気づきを、
21日間かけてゆっくりと綴っています。

 

「治療は終わったのに、何か満たされない」
そんな想いを抱えているあなたに、

 

少しずつ、寄り添えたら嬉しいです。


▼ メール講座のご案内はこちら

解除はいつでもできます

 

 

 

ありがたいことに、
イブランスはよく効いた。

 

腫瘍は小さくなり、
手術もできた。

 

祈るような気持ちで
見守っていたあの日から、
少しホッとした時間が流れていた。

 

 

ちょうどその頃はコロナ禍で、
施設での面会は制限されていた。

 

だから私たちは、
近くの公園で会うことが多くなった。
 

私はお弁当を持っていき、
母はお茶と果物、
そして必ずマグカップを持ってきた。

 

公園のベンチで、
二人でお弁当を食べる。

 

「おいしいね。」

 

母はそう言って、
嬉しそうに食べた。

 

母が公園に持ってきていたマグカップ

 

ある日、私は靴を脱いで
芝生の上を歩いた。

 

母も靴を脱いで、
一緒に歩いた。

 

足の裏に、チクチクとした感触。
土のやわらかさ。
日向のあたたかさ。
日陰のしっとりした冷たさ。

 

そのとき母が言った。

 

「由子は変わったね。」

 

少し驚いた。
でも同時に、
「ああ、そうなんだ」と
どこかで納得している自分もいた。

 

以前の私たちなら、
こんなふうに同じ時間を
穏やかに過ごすことは
難しかったと思う。

 

どこかで気を張っていて、
相手の顔色をうかがって、
小さなことで空気が変わる。

 

そんな時間が、当たり前だった。

 

今振り返ってもあの時間は、
母と私への
贈り物だったと思う。

 

 

 

 

 

その後、母の病状は
少しずつ進んでいった。

 

痛み止めの麻薬を使い始め、
吐き気止めが合わず、
食べられない日が続き・・・

 

しんどそうな母を見ながら、
私の不安も消えなかった。

 

けれど訪問医さんが
薬を調整してくれたおかげで、
食欲が戻った日があった。

 

そのとき母が言った。

 

「ケンタッキー食べたい。」

 

私はすぐに買いに行った。
4ピース。

 

もうあまり食べられないだろうと
思っていた。

でも母は、
 

大きなフライドチキンを
嬉しそうにほおばり、
2ピースも食べた。

 

その顔が、本当に嬉しそうで。

私は思わず写真を撮る。
今もその写真は、額に入れて飾っている。

 

 

緩和ケアへの入院、
痛みのコントロール、
放射線治療。

 

母は一度元気を取り戻し、
施設に戻ることができた。

 

そこからの3か月は、
穏やかな時間だった。

 

 

ある日また、母は言った。

 

「ケンタッキー食べたい。」

 

私はまた買って行った。

 

でもその日の母は、
少し様子が違っていた。

 

言葉は元気なのに、
足が動かなくなっていた。

 

その日、母はケア室へと移り、
結局そのケンタッキーを
食べることはできなかった。

 

翌日、急変の連絡が入る。

 

駆けつけたとき、
母は目を開いたまま、
浅く速い呼吸をしている。

 

私が話しかけると、
母は手をぎゅっと握り返してくれた。

 

私も、ずっとその手を握っていた。

 

その日の夜、
母の握り返す力は弱まり、
呼吸もゆっくりになっていった。

 

そして静かに、息を引き取った。

 

そのとき私は、
母のことを「美しい」と思った。

 

亡くなっているのに。

 

とても静かで、潔い最期だった。

断捨離が好きだった母が、
まるで身体を脱ぎ捨てるように、
さっと旅立っていったように感じた。

 

かっこいい、とさえ思った。

 

 

 

母を見送ったあと、
部屋の冷蔵庫を整理した。

 

そこには、
生ハムと洋ナシが入っていた。

 

きっと母は、
ケンタッキーと一緒に
それを食べるつもりだったのだと思う。

 

だから私は、
お通夜の前にそれを食べた。

 

母の代わりに。

 

今もデスクの横には、
ケンタッキーを嬉しそうに食べる
母の写真がある。

 

それを見るたびに、
どこかで「ありがとう」と
言われているような気がする。

 

あの時間を思い出す。

 

がんになって、
立ち止まらざるを得なかった時間。

母と過ごした、
限りある時間。

 

そのどちらも、
私にとっては「生きる」ということだった。

 

人生は、
苦しみや悲しみを
乗り越えるためにあるのではない。

 

味わい尽くすためにある。

 

フライドチキンの香り、
芝生のチクチクとした感触、
握り返してくれた母の手の温かさ。

 

母はコスモスが好きでした。
花言葉は、「調和」。
風に揺れる姿が、
どこか母に似ている気がします。

 



メールマガジンのご案内

 

もし今、

 

がんの治療を受けながら、
どこか張りつめたまま
毎日を過ごしているなら——

 

私は35歳で乳がんを経験しました。

 

治療後も残っていた
心の苦しさと向き合う中で、
「心と身体」「生きること」を
長い時間をかけて学んできました。

 

メール講座では、

 

・心と身体のつながり
・マインドフルネス
・頑張りすぎる心をゆるめること

 

などについて、
体験を交えながらお届けしています。

 

一人で頑張ってきたあなたへ。

 

このメール講座が、
少しでも心をゆるめる時間になりますように。

 

黄色いボタンをクリック


※解除はいつでもできますのでご安心ください。

 

がんになってから、
私の時間の感覚は変わりました。

 

当たり前の日常が、
いつ失われてもおかしくない。

 

そう知ってしまってから、
私は以前のようには、
無理ができなくなっていました。

 

そんな中での、
母との同居でした。

 

 

 

母は不安を訴えることが多く、
私はその重さを受け止めながら、
自分を保つことで精一杯でした。

 

不安を受け止め続ける毎日は、
少しずつ、
私の心をすり減らしていきました。

 

 

 

 

 

 

やがて母は施設に移り、
離れて暮らすことになりました。

 

 

 

ようやくお互いに息ができる
そう感じはじめた頃のことです。

 

母の乳がんの再発が、
見つかりました。
皮膚再発でした。

 

 

 

実は母は、自分の胸の変化に
ずっと前から気づいていました。

 

「再発じゃないか」と、
何度か私に言っていました。

 

でも母は、
不安を口にすることが多い人でした。
私は「まさか」と思って、
あまり深く受け取っていませんでした。

 


再発とわかったとき、
母は静かに言いました。
 

「やっぱりね。」
 

その言葉が、
胸に刺さりました。

 

申し訳なさ。
ショック。
そして自分への問い——

 

いろんなものが
一度に押し寄せてきました。

 

 

 

 

さかのぼると、
母の乳がんは左乳がん。
ステージⅠ。

 

ホルモン受容体陽性で、
手術も小さな範囲で済んでいました。

 

一方の私は、
右乳がん。

 

トリプルネガティブで、
抗がん剤治療を受け、
胸の変形も大きいものでした。

 

左と右。

 

まるで対になるように、
母と私は乳がんを経験していました。

 

 

 

 

 

 

私の発病から7年後、
母は70歳で乳がんになり、
そして78歳で再発しました。

 

私は乳がん経験者。
そして以前は
乳がん検査の開発に関わる
研究者でもありました。

 

母の診察には付き添い、
医師から治療の選択肢を
一緒に聞きました。

 

「わからないから、あなたが決めて」
母は言いました。

 

抗がん剤という選択肢もありました。

 

でも、
施設で一人暮らしをしている母が、
精神的にも落ち込みやすい母が、
一人で抗がん剤治療を受けられるだろうか。
78歳という年齢で・・・

 

心身への負担を考えて、
私が選んだのは
分子標的薬のイブランス——
CDK4/6阻害剤でした。

 

以前の研究で、
CDK関連の仕事に
関わっていたことがある私。

 

ただ
祈るような気持ちでいました。

 

どうか
この薬が効いてほしい。

 

娘としての気持ちと、
元研究者としての知識と、
申し訳なさと、
願いと

 

母が施設で、
少しでも穏やかに過ごせますように。

 

ただ、
それだけを思っていました。
(後編へ続きます)

 

 

メールマガジンのご案内

 

もし今、
がんの治療を受けながら
どこか満たされない気持ちを抱えていたり、

 

「ちゃんと頑張っているのに苦しい」
そんな感覚があるなら――

 

私は35歳で乳がんを経験しました。

 

治療を終えても、
心の奥には整理しきれないものが残っていました。

 

そこから10年以上かけて、
私は「心と身体」「生きること」を
学び続けてきました。

 

メール講座では、

 

・自分を支える感覚
・心と身体のつながり
・マインドフルネス
・頑張りすぎる心との付き合い方
・「病気=悪いもの」だけではない見方

 

などについて、
体験を交えながらお届けしています。

 

一人で頑張り続けてきたあなたへ。

 

このメール講座が、
少しでも心をゆるめる時間になりますように。

 

黄色いボタンをクリック


 

こんにちは
ライフアートレッスンの長岡由子です。
 


このページでは
ロボットのように働いていた私が
35歳で乳がんを経験してから
心理セラピストになるまでの
道のりをまとめています。
 


がんを経験したことで取り戻した
“感じる力”や、心の回復のプロセス
私の体験談を通してお届けします。

 

私と同じように、がんで
「立ち止まらなくてはいけなくなった方」
少しでも寄り添える内容になればと思います

 

記事リンクリスト

 

ここで紹介している記事リストは
今のところの予定です。
書き進めながら追加や変更をしていきますので
どうぞ楽しみにしていてくださいね

 

メールマガジン

▼がんをきっかけに幸せになるメールマガジン

 

がんをきっかけに立ち止まり、心の苦しさや
満たされない思いを抱えていませんか?


私自身の体験と
そこから学んだ“心を支える知恵”を
メール講座&動画でお届けしています。

 

ほんの少しでも
「安心」や「希望」を受け取って
いただけたら嬉しいです。
↓ご登録は下の黄色いボタンからどうぞ。


(解除はいつでもできますので安心してお試しくださいね)
 

 

▼アダルトチルドレンさんむけメールマガジン
 

もし今、
親との関係の中で
「大切にしたいのに、しんどい」
そんな感覚があるとしたら――

 

それは、あなたの弱さではなく、
身体が覚えてきた反応かもしれません。

 

このメール講座では、
「変わろう」としなくても、
今の自分にやさしく気づいていく時間を
お届けしています。

 

読むだけで大丈夫です。

 

身体からほどけていく7日間メール講座

 

 

――

 

もう少しやさしく理解から始めたい方へ

 

生きづらさの“本当の原因”がわかり
心がふっと軽くなる7日間

 

▼メールマガジン登録はこちら

 

感情の仕組みや、
無意識のパターンを知ることで
自然に心が軽くなっていく講座です。

※いつでも解除できます

 

離れることでしか、
見えなかった親子の気持ちがありました。

 

 

 

 

引っ越しの日

 

 


母が老人ホームに引っ越す日
母はとても静かでした。
半狂乱になって叫んだあの日が
まるで嘘のように。

 

荷物をまとめ
必要なものを確認し
淡々と準備を進めていました。

 

 

 

私も一緒に手伝いながら
心は落ち着きませんでした。


本当にこれでいいのだろうか。


母を家に呼んだのは私なのに
結果的に追い出す形に
なってしまったのではないか。


そんな罪悪感が
胸の奥に重く沈んでいました。

 

 

 

母が選んだ場所

 

母が住むことになった施設は
私の家から電車で1時間ほどの
場所にありました。

 

少し遠いけれど
施設の前には公園があり
その隣には図書館もありました。

 

 

 

 

母の部屋の窓からは
静かな住宅街が見えました。

 

その景色を見ながら
母はこう言いました。

 

「なんとなく、
 あなたたちの町に似てるでしょう。」

 

離れたいと言いながら
どこか似た景色を選んでいた
母の気持ちを思うと
今も切ないものがあります。

 

 

 

 

 

引っ越しの前には、
一緒に家具を見に行きました。
カーテンも選びました。

 

できるだけ
母の今までの部屋に
近い雰囲気になるように。

 

それでも
引っ越しの日はやっぱり寂しくて
私は泣きました。

 

 

 

残された部屋

 

 

母が使っていた部屋は
家の中で一番日当たりのいい
気持ちのいい
南側の部屋でした。

 

私たち夫婦は
北側の、あまり日が入らない部屋で
寝ていました。

 

だから本当なら
母がいなくなったあと
すぐにその部屋に移ればよかったのです。

 

 

 

でも――
どうしてもできませんでした。

 

 

 

母がいた部屋をすぐに
使うことができなかったのです。
気持ちの上で許可が出なかった。

 

結局、数か月そのままでした。

 

 

届かない声

 

 

引っ越し直後は
母に電話をすると
すぐに切られました。

 

「お前とは話したくない」

 

そう言って。

 

 

心配なのに、
どうすることもできない。

 

 

 

罪悪感と
寂しさと
どうしていいかわからない気持ち。

 

 

 

静かなまま、
そんな時間が
三ヶ月ほど続きました。

 

 

 

それからずいぶん後になって
母はこう言いました。

 

「電話するとね、
 あなたを責めたくなるの」

 

「また、
    あなたを苦しめると思った」

 

「だから、電話を切ってたの」

 

その言葉を聞いたとき
私は胸がいっぱいになりました。

 

 

 

 

もう一つの門

 

年が明けて
私は施設におせち料理を持っていきました。

 

手作りではなく
出来合いのものですが・・

 

施設の玄関には
立派な門松が飾られていました。

 

 

 

 

母と一緒に
その前で写真を撮りました。

 

その写真は、
今でも残っています。

 

 

 

振り返ると
あの時は
私たち親子にとって

 

もう一つの
「門」をくぐる時
だったのかもしれません。

 

「門」については、第9話に書いています。

 

 

 

 

 

次回は
母の施設への引っ越しの直前に
起きたことについて書いていきます。

 

それは、
母の乳がんの再発でした。
「やっぱりね。」
そう静かに言った母の言葉が
今も耳に残っています。

 

 

メールマガジンのご案内

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
 

もし今、
親との関係の中で
「大切にしたいのに、しんどい」
そんな感覚があるとしたら――
 

それは、あなたの弱さではなく、
身体が覚えてきた反応かもしれません。
 

このメール講座では、
「変わろう」としなくても、
今の自分にやさしく気づいていく時間を
お届けしています。
 

読むだけで大丈夫です。
 

身体からほどけていく7日間メール講座


――

もう少しやさしく理解から始めたい方へ
 

生きづらさの“本当の原因”がわかり
心がふっと軽くなる7日間
 

▼メールマガジン登録はこちら


感情の仕組みや、
無意識のパターンを知ることで
自然に心が軽くなっていく講座です。
 

※いつでも解除できます