がんをきっかけに幸せになる*生き辛さから自由になる*ライフアートレッスン

がんをきっかけに幸せになる*生き辛さから自由になる*ライフアートレッスン

マインドフルネスとアートを使って自分への思いやりを育むセラピーをしています。
がん体験者さんや、生き辛さを抱えたアダルトチルドレンの方のサポートをさせていただいています。

 

ありがたいことに、
イブランスはよく効いた。

 

腫瘍は小さくなり、
手術もできた。

 

祈るような気持ちで
見守っていたあの日から、
少しホッとした時間が流れていた。

 

 

ちょうどその頃はコロナ禍で、
施設での面会は制限されていた。

 

だから私たちは、
近くの公園で会うことが多くなった。
 

私はお弁当を持っていき、
母はお茶と果物、
そして必ずマグカップを持ってきた。

 

公園のベンチで、
二人でお弁当を食べる。

 

「おいしいね。」

 

母はそう言って、
嬉しそうに食べた。

 

母が公園に持ってきていたマグカップ

 

ある日、私は靴を脱いで
芝生の上を歩いた。

 

母も靴を脱いで、
一緒に歩いた。

 

足の裏に、チクチクとした感触。
土のやわらかさ。
日向のあたたかさ。
日陰のしっとりした冷たさ。

 

そのとき母が言った。

 

「由子は変わったね。」

 

少し驚いた。
でも同時に、
「ああ、そうなんだ」と
どこかで納得している自分もいた。

 

以前の私たちなら、
こんなふうに同じ時間を
穏やかに過ごすことは
難しかったと思う。

 

どこかで気を張っていて、
相手の顔色をうかがって、
小さなことで空気が変わる。

 

そんな時間が、当たり前だった。

 

今振り返ってもあの時間は、
母と私への
贈り物だったと思う。

 

 

 

 

 

その後、母の病状は
少しずつ進んでいった。

 

痛み止めの麻薬を使い始め、
吐き気止めが合わず、
食べられない日が続き・・・

 

しんどそうな母を見ながら、
私の不安も消えなかった。

 

けれど訪問医さんが
薬を調整してくれたおかげで、
食欲が戻った日があった。

 

そのとき母が言った。

 

「ケンタッキー食べたい。」

 

私はすぐに買いに行った。
4ピース。

 

もうあまり食べられないだろうと
思っていた。

でも母は、
 

大きなフライドチキンを
嬉しそうにほおばり、
2ピースも食べた。

 

その顔が、本当に嬉しそうで。

私は思わず写真を撮る。
今もその写真は、額に入れて飾っている。

 

 

緩和ケアへの入院、
痛みのコントロール、
放射線治療。

 

母は一度元気を取り戻し、
施設に戻ることができた。

 

そこからの3か月は、
穏やかな時間だった。

 

 

ある日また、母は言った。

 

「ケンタッキー食べたい。」

 

私はまた買って行った。

 

でもその日の母は、
少し様子が違っていた。

 

言葉は元気なのに、
足が動かなくなっていた。

 

その日、母はケア室へと移り、
結局そのケンタッキーを
食べることはできなかった。

 

翌日、急変の連絡が入る。

 

駆けつけたとき、
母は目を開いたまま、
浅く速い呼吸をしている。

 

私が話しかけると、
母は手をぎゅっと握り返してくれた。

 

私も、ずっとその手を握っていた。

 

その日の夜、
母の握り返す力は弱まり、
呼吸もゆっくりになっていった。

 

そして静かに、息を引き取った。

 

そのとき私は、
母のことを「美しい」と思った。

 

亡くなっているのに。

 

とても静かで、潔い最期だった。

断捨離が好きだった母が、
まるで身体を脱ぎ捨てるように、
さっと旅立っていったように感じた。

 

かっこいい、とさえ思った。

 

 

 

母を見送ったあと、
部屋の冷蔵庫を整理した。

 

そこには、
生ハムと洋ナシが入っていた。

 

きっと母は、
ケンタッキーと一緒に
それを食べるつもりだったのだと思う。

 

だから私は、
お通夜の前にそれを食べた。

 

母の代わりに。

 

今もデスクの横には、
ケンタッキーを嬉しそうに食べる
母の写真がある。

 

それを見るたびに、
どこかで「ありがとう」と
言われているような気がする。

 

あの時間を思い出す。

 

がんになって、
立ち止まらざるを得なかった時間。

母と過ごした、
限りある時間。

 

そのどちらも、
私にとっては「生きる」ということだった。

 

人生は、
苦しみや悲しみを
乗り越えるためにあるのではない。

 

味わい尽くすためにある。

 

フライドチキンの香り、
芝生のチクチクとした感触、
握り返してくれた母の手の温かさ。

 

母はコスモスが好きでした。
花言葉は、「調和」。
風に揺れる姿が、
どこか母に似ている気がします。

 



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がんになってから、
私の時間の感覚は変わりました。

 

当たり前の日常が、
いつ失われてもおかしくない。

 

そう知ってしまってから、
私は以前のようには、
無理ができなくなっていました。

 

そんな中での、
母との同居でした。

 

 

 

母は不安を訴えることが多く、
私はその重さを受け止めながら、
自分を保つことで精一杯でした。

 

不安を受け止め続ける毎日は、
少しずつ、
私の心をすり減らしていきました。

 

 

 

 

 

 

やがて母は施設に移り、
離れて暮らすことになりました。

 

 

 

ようやくお互いに息ができる
そう感じはじめた頃のことです。

 

母の乳がんの再発が、
見つかりました。
皮膚再発でした。

 

 

 

実は母は、自分の胸の変化に
ずっと前から気づいていました。

 

「再発じゃないか」と、
何度か私に言っていました。

 

でも母は、
不安を口にすることが多い人でした。
私は「まさか」と思って、
あまり深く受け取っていませんでした。

 


再発とわかったとき、
母は静かに言いました。
 

「やっぱりね。」
 

その言葉が、
胸に刺さりました。

 

申し訳なさ。
ショック。
そして自分への問い——

 

いろんなものが
一度に押し寄せてきました。

 

 

 

 

さかのぼると、
母の乳がんは左乳がん。
ステージⅠ。

 

ホルモン受容体陽性で、
手術も小さな範囲で済んでいました。

 

一方の私は、
右乳がん。

 

トリプルネガティブで、
抗がん剤治療を受け、
胸の変形も大きいものでした。

 

左と右。

 

まるで対になるように、
母と私は乳がんを経験していました。

 

 

 

 

 

 

私の発病から7年後、
母は70歳で乳がんになり、
そして78歳で再発しました。

 

私は乳がん経験者。
そして以前は
乳がん検査の開発に関わる
研究者でもありました。

 

母の診察には付き添い、
医師から治療の選択肢を
一緒に聞きました。

 

「わからないから、あなたが決めて」
母は言いました。

 

抗がん剤という選択肢もありました。

 

でも、
施設で一人暮らしをしている母が、
精神的にも落ち込みやすい母が、
一人で抗がん剤治療を受けられるだろうか。
78歳という年齢で・・・

 

心身への負担を考えて、
私が選んだのは
分子標的薬のイブランス——
CDK4/6阻害剤でした。

 

以前の研究で、
CDK関連の仕事に
関わっていたことがある私。

 

ただ
祈るような気持ちでいました。

 

どうか
この薬が効いてほしい。

 

娘としての気持ちと、
元研究者としての知識と、
申し訳なさと、
願いと

 

母が施設で、
少しでも穏やかに過ごせますように。

 

ただ、
それだけを思っていました。
(後編へ続きます)

 

 

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こんにちは
ライフアートレッスンの長岡由子です。
 


このページでは
ロボットのように働いていた私が
35歳で乳がんを経験してから
心理セラピストになるまでの
道のりをまとめています。
 


がんを経験したことで取り戻した
“感じる力”や、心の回復のプロセス
私の体験談を通してお届けします。

 

私と同じように、がんで
「立ち止まらなくてはいけなくなった方」
少しでも寄り添える内容になればと思います

 

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今のところの予定です。
書き進めながら追加や変更をしていきますので
どうぞ楽しみにしていてくださいね

 

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離れることでしか、
見えなかった親子の気持ちがありました。

 

 

 

 

引っ越しの日

 

 


母が老人ホームに引っ越す日
母はとても静かでした。
半狂乱になって叫んだあの日が
まるで嘘のように。

 

荷物をまとめ
必要なものを確認し
淡々と準備を進めていました。

 

 

 

私も一緒に手伝いながら
心は落ち着きませんでした。


本当にこれでいいのだろうか。


母を家に呼んだのは私なのに
結果的に追い出す形に
なってしまったのではないか。


そんな罪悪感が
胸の奥に重く沈んでいました。

 

 

 

母が選んだ場所

 

母が住むことになった施設は
私の家から電車で1時間ほどの
場所にありました。

 

少し遠いけれど
施設の前には公園があり
その隣には図書館もありました。

 

 

 

 

母の部屋の窓からは
静かな住宅街が見えました。

 

その景色を見ながら
母はこう言いました。

 

「なんとなく、
 あなたたちの町に似てるでしょう。」

 

離れたいと言いながら
どこか似た景色を選んでいた
母の気持ちを思うと
今も切ないものがあります。

 

 

 

 

 

引っ越しの前には、
一緒に家具を見に行きました。
カーテンも選びました。

 

できるだけ
母の今までの部屋に
近い雰囲気になるように。

 

それでも
引っ越しの日はやっぱり寂しくて
私は泣きました。

 

 

 

残された部屋

 

 

母が使っていた部屋は
家の中で一番日当たりのいい
気持ちのいい
南側の部屋でした。

 

私たち夫婦は
北側の、あまり日が入らない部屋で
寝ていました。

 

だから本当なら
母がいなくなったあと
すぐにその部屋に移ればよかったのです。

 

 

 

でも――
どうしてもできませんでした。

 

 

 

母がいた部屋をすぐに
使うことができなかったのです。
気持ちの上で許可が出なかった。

 

結局、数か月そのままでした。

 

 

届かない声

 

 

引っ越し直後は
母に電話をすると
すぐに切られました。

 

「お前とは話したくない」

 

そう言って。

 

 

心配なのに、
どうすることもできない。

 

 

 

罪悪感と
寂しさと
どうしていいかわからない気持ち。

 

 

 

静かなまま、
そんな時間が
三ヶ月ほど続きました。

 

 

 

それからずいぶん後になって
母はこう言いました。

 

「電話するとね、
 あなたを責めたくなるの」

 

「また、
    あなたを苦しめると思った」

 

「だから、電話を切ってたの」

 

その言葉を聞いたとき
私は胸がいっぱいになりました。

 

 

 

 

もう一つの門

 

年が明けて
私は施設におせち料理を持っていきました。

 

手作りではなく
出来合いのものですが・・

 

施設の玄関には
立派な門松が飾られていました。

 

 

 

 

母と一緒に
その前で写真を撮りました。

 

その写真は、
今でも残っています。

 

 

 

振り返ると
あの時は
私たち親子にとって

 

もう一つの
「門」をくぐる時
だったのかもしれません。

 

「門」については、第9話に書いています。

 

 

 

 

 

次回は
母の施設への引っ越しの直前に
起きたことについて書いていきます。

 

それは、
母の乳がんの再発でした。
「やっぱりね。」
そう静かに言った母の言葉が
今も耳に残っています。

 

 

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ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
 

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第10話では、母と夫の間で板挟みになり、
家の中の空気が少しずつ重くなっていく
様子をお伝えしました。
 

そして今回の第11話では、
その緊張が限界に達した、
ある日の出来事を書いています。
 

▶ 第10話はこちら

 

 

 

 

 

誰も楽になれないまま

 

家の空気は
どんどん重くなっていきました。
 

夫と母の関係は
相変わらず険悪でした。


私はときどき
しんどくなって
頭を抱え
布団に潜り込みました。
 

夫は母に
はっきり物を言う人でした。
 

母は怒って
自分の部屋に閉じこもり
「もう食べない」と
ハンガーストライキ。
 

三人で大喧嘩になることも
何度もありました。
 

母が二階の自室に逃げ込もうとすると
夫が階段の途中で立ちはだかる。
 

母は怒って
スリッパを床に叩きつける。
 

私は心配して「お母さん…」と
声をかける。
 

そんな場面が
何度も繰り返されました。

 

 

 

境界線

 

母との関係は
少しずつ変わり始めていました。

 

私は母に言うようになりました。

 

「お母さんの感情は
 お母さん自身が面倒を見てほしい」

 

母は黙って聞いていました。

 

でも
それで何かが解決したわけでは
ありませんでした。

 

 

 

あるとき
母がいつものように
愚痴をこぼしたとき

 

私は
それを聞かないようにしました。

 

そうやって
一週間くらいたったある日
母がふいに
私の部屋に入ってきました。

 

何か言いかけて
すぐ

 

「やっぱりいい!」

 

そう言って
自分の部屋に戻っていきました。

 

私はそのとき
母も限界なのかもしれないと
直感しました。

 

 

 

そのあとすぐ

 

私は
母の部屋にいき、声をかけました。

 

すると突然
母は叫び出しました。

 


「出て行って!」

 

「出て行かなかったら
 この部屋の物、全部切るーー!」

 


興奮した母の手には
はさみがありました。
 

私はびっくりしました。
一瞬、身体が固まりました。
 

でもそのはさみは・・・
 

幼稚園のお道具箱に入っているような
黄色い持ち手の
小さなはさみでした。

 

 


それを見た瞬間
 

私は咄嗟に
セラピストモードに
切り替わっていました。

 

 

 

母の肩に手を置き
言いました。
 

「お母さん
 落ち着いて」

 

「ゆっくり呼吸して」
 

すると母は
ギャー―と叫びながら
 

自分の服を
ジャキジャキと
切り始めたのです。

 

 

 

そのときでした。
 

玄関のドアが開き
火箸風鈴が
チリーーンと鳴りました。

 

 

 

 

 

夫が買い物から
帰ってきたのです。

 

その音を聞いた瞬間

 

母は
はっとして
我に返りました。

 

そして
低い声でこう言いました。

 

「由子」

 

「これで終わり」

 

「このことは
 彼には言わないで」

 

 

今思えば

 

あの日が

 

私と母の関係が変わった
境目だったのかもしれません。

 

 

 

母の決断

 

 それからしばらくして

 

母が
一冊のパンフレットを
持ってきました。

 

老人ホームの
パンフレットでした。

 

母は言いました。

 

「ここに引っ越したい」

 

それは
母なりの
精一杯の決断だったのだと思います。

 

あの日、
お母さんも限界だったんだね。

 

今ならわかる。

 

可愛い娘でいてほしかった気持ちも。
黄色いはさみの、必死さも。

 

今思い出すと、胸が痛い。

 

でもあの日があったから
私たちは少し、楽になれた気がする。

 

お母さん、ごめんね。
いつまでも、子供のころのような
可愛い娘では、いられなかった。

 

 

 

 

 

あの日を境に、
母はひとつの決断をします。

 

それは、
家を出るという選択でした。

 

怒りのあとに訪れた、
静かな時間。

 

けれどその中には、
罪悪感や寂しさ、
言葉にならない想いが残っていました。

 

次回は、
母が家を出た日のこと、
そしてその後に続いた時間について
書いていきます。

 

 

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