先日父と電話したのだが
最近思うのは
 
うちはほんとに
ふつーーの家庭だなぁ
 
 
 
 
 
少し前は
 
「うちは異常でやばくて変な家族だ」
 
と思ってた
(それが怒りの解放を助けてくれた
 
 
 
 
その前は
 
「自分は頭がおかしめで
努力を続けて自分を矯正しないと
生きていけないやつだ」
 
と思ってた
 
 
 
 
 
悩みを相談しに行くと
 
私が苦しかった状況、
 
・母が父に理不尽に当たることや
・電話口で意味不明に怒られること、
・上司が気分屋で贔屓屋なこと、
・挨拶のタイミングがわからないこと、
 
 
 
そういうのは
 
普通だよ、
そういうのあっていいんだよ、
コントだよ
大丈夫だよ
 
言ってもらって
 
そうなのか???
と新しい概念に戸惑いつつ
 
「大丈夫なんだ」
と心は軽くなった。
 
 
 
 
でもやはり
 
母の態度に怯えること
上司の気分に怯えること
社会不適合者だと落ち込むこと
 
は変わらなくて
 
新しい概念は
頭にとどまったまま
私の生活を変えるまでは影響しなかった。
 
 
 
 
今、確かにうちは
 
ふつーで
コントなのかもしれないし
大丈夫っぽいな
 
と思う。
 
 
 
わたしが
ものすごくおかしいのでもなく
 
父母が
精神異常者というわけでもなく
 
 
 
私も両親も
 
変なとこも抜けてるとこも
ちゃんとしてるとこもある
相手に誠実に生きようと努力はしてる
 
一方で自己防衛が強い時もあって
無意識に誤魔化す弱さもある
 
 
 
でもまあ、ふつう。
 
 
 
 
 
それは
新しい概念が
侵透した
 
のもあるかもしれないけど
 
 
恨みをかなり
消化しつつあるから
だと思う。
 
 
 
 
私はすごく恨んでいた
 
ものすごく怒っていたし
傷ついていた
 
 
 
その感情を
だいぶ消化したから

 

以前に聞いた新しい概念が

信じられるようになったと思う

 
 
 
 
 
新しい概念は
確かに助けてくれた。
 
 
心を軽くして支えてくれた
 
 
 
けど
 
その概念で生きる人生にするには
 
これまでの感情を
見てあげる必要があったと思う。
 
 
 
 
 
それは被害妄想だろうが
なんだろうが
関係なくて
 
相手の事情も関係が無くて
 
相手の愛情かどうかも関係がない
 
 
 
 
私の人生で
私が感じるべきだった感情たちを
感じられたかどうかだけ
 
 
 
 
新しい概念で感情を
抑え込むことができたりするけど
 
感じるまでは
その概念が
身体に入って行かない
 
 
 
 
 
ネタだよ、
コントだよ、
大丈夫だよ、
 
わかったし
心は軽くなる
 
 
だけど
それでも
 
目の前で起きる現実に
打ちのめされるとき
 
 
 
押さえてきた
無かったことにしてきた
あれも愛情だったのだと説得して誤魔化してきた
 
苦しみを
迎えに行く時だと思う
 
 
 
 
 
 
 
そっか、そう考えればよかったのか
そうだった、大丈夫なんだった、
 
の先。
 
 
そう考えること
大丈夫なこと
が当たり前の生活
 
 
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