みんなーーーー!!!!!(誰

今日公開のチェンソーマン

読んだ―――――!?!?!?!?

 

 

 

 

 

 

泣きます

泣きました

泣いたわ

 

 

 

 

チェンソーマン

読んだことない人も

この話だけでも読んでみてもらいたいくらいなのだが

 

無料ですし!?

 

 

 

 

 

ネタバレします↓↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「乗り越えてねーよ!

チェンソーマンは!!」

 

で泣きましたよね。

 

 

 

 

 

 

この話だけ読んだ方に

ご説明しますとですね、

チェンソーマン(デンジ)は

 

貧乏すぎて

パンすらまともに

食べられない生活から

 

心許せる友人ができて

家族みたいになって

仕事も楽しくなってきて

 

「スゲ~いい日が続くなって思って油断して」

た時に

 

その幸せを

ぜーんぶ奪われたことがある

 

 

 

 

 

 

 

 

「いきなり糞みたいなことが起こって

全部台無しになっちまうんだよな!?」

 

 

 

「悪いことばっかじゃねぇって

わかってるけど・・・・

 

毎日毎日前にあった

悪いことず~~~っと思い出して

 

人生どんどん

最悪が糞のハンバーガーみてえに

積み重なっていくんだよな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

アサちゃんの不幸と

デンジの不幸は別物だけど

 

アサちゃんからしたら

「私より酷い目あってる人いない」

のかもしれないけど

 

 

 

 

 

その

”苦しさ”

”悲しさ”は

共鳴した

 

 

 

 

 

最近読み返した

『普通がいいという病』

の中で

 

経験が個人の中で深められていくと、

その出来事の特異性や

個人的な要素は次第に薄らいでいって

最終的に普遍性を獲得するものになります。

 

 

この普遍性を「地下水脈」に例えて

 

この一番下の地下水脈からくみ上げてきたもの、

この深さから来た言葉というものは、

非常にシンプルで分かりやすいものになっているのが特徴です。

 

平易な言葉をつかっていながらも、密度が濃い。

 

 

 

 

 

 

デンジは

自分が体験した出来事を

深めて普遍化してる

 

平易な(糞のハンバーガー笑)

言葉で

お互いの経験の奥にある

同じ悲しみに触れたんだなと

 

 

 

 

 

んで

 

「乗り越えてねーよ!」

 

がいいのよ・・・・

 

 

 

 

 

乗り越えたよ!!

って威張らないていうか笑

 

乗り越えたよ!!

って言えちゃうときは

 

経験から

普遍的な悲しみには

到達しないかもしれないな

 

 

 

 

それこそアサちゃんみたく

「私より酷い目あってる人いない!」

て言ってしまうだろな。

 

 

 

 

 

私は商品を売ろうとして

(そのスタンスがもうダメぽいけど笑

 

こーんな状態から

こーんな幸せに!

 

みたいに書いちゃう

 

 

書いちゃうんだけおおお・・・

 

 

 

 

 

 

でもそうやってしまうから

地下水脈に触れられないのかも。

 

 

 

 

 

乗り越えてねーよ!

 

って

その悲しみを

過去に置き去りにしないのが

強い。

 

 

 

 

アサは

「乗り越えられないから生きられない」

(乗り越えないと生きられない)

 

 

デンジは

「乗り越えてないけど生きていく」

 

でも

結果的にデンジは

乗り越えた状態と言えなくもない。

 

 

 

 

 

不安とか焦りとも似てる感じがする

 

 

不安を消そうとするほど

不安に潰されそうになる

 

 

不安はあってもいいから生きていく

ことにすると

不安は減っていく

 

 

 

 

 

乗り越えなくてよくて

消し去らなくていい

 

それがあるままで

楽しみを抱えて生きていい

 

 

 

 

 

 

はあああああ

この話だけでも

読んでみてほすぃーーー・・

 

 

 

 

 

 

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