夫が新しくオンラインコミュニティに入って
「動画を聞き流して何度も聞く」
を推奨されたそうで
よくイヤホンをしている
めいさんもよく
「10回は聞いてね」
とおっしゃってて
私最近あんまり聞いてなかったから
また聞き返してみたら
いろいろ忘れてんだな・・・と
改めての発見が多かった
発見の1つが
過去の自分を
すごく棚上げしてたな
と笑
ひーちゃんといっしょで
頂いたご感想の中で
厳しかったけど
それが良かった
的なことを言って頂けたことに
味を占めたというか
厳し目で!
行った方が!
よろしかろう!!
と
アクセル踏み過ぎたというか
なんかこう
無駄にアタリだけ
きつくなってたかもな
と反省した。
リッチマインドビジネス実践講座を
受けていたころ
2021年の4月とかあたりの
動画で自分を見てると
言いたいこと全然言えてないし
ていうか
何言いたいのかもよくわかってなくて
毎週の質問回答ライブの時も
結構もやもややきもきしてて
丁寧に回答もらっているのに
なんだか不満そうで笑
そうだったな
私こんなんだったやん
て
何に怒ってるのか
なんで怒ってるのか
「怒っていい」
がわかってるつもりで
全然わかってなくって
めいさんに
「今はとにかく書き書きしてみて」
「どっかで”ぱちん”てはじける時がくるから」
って言われてて
当時は
まだ!書かないけんのか!!!!
うえーーーって思ってたけど
書き書きしてよかった
書き書きしてなかったら
「怒っていい」が一生分からなかった
”感じきる”もきっとできなかった
ん?
なんかちょっとズレたけど
そう、
質問に回答しても
不満そうというか
不服そうというか
そういう態度にイラついたり
いやもう
信じないなら信じなくていいから
みたいな過激派になったり
してたけど
私だって
半信半疑で
不服そうな感じ出てたし
でもどうにか変わりたくて
しがみついて質問してたなと
厳しさをはき違えて
戸惑いや不安を否定するのは違ったな
と反省した
私は
「やってみる」
がやっぱり大事だと思ってる
それは
その場での安心とか
その場で笑って終わりとか
その場だけのスッキリ感とか
それだけで終わらせたくない
日常が変わることを体験してほしい
と思っているから
だけど
その思いで提供したもので
相手がもし
安心できたとか
笑えて楽しかったとか
スッキリできたとか
そういう喜びだけでも満足
するのであったら
その喜びを私は否定しなくてもよかった
「やってみる」
が私から見て”おろそか”であっても
どこまで進みたいかは本人が決めること
で「やってみる」が怖くて不安で
疑心暗鬼のように見えても
それをどうにかしようともしなくてよかったな
それでもいいのだ
私もそうだったんだ